専修寺円禧
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彩子 藤堂高嶷(たかさと)の十二女。 專修寺圓祥の正室 「霜信院」 |
「松若[丸]」 | |||
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文化十四年丁丑(一八一七)正月十七日生。 | ||
「學宮」 | |||
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天保二年(一八三一)十二月九日、韶仁親王[有栖川宮]の養子となり、「學(サト)宮」と稱される。 | ||
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天保三年(一八三二)六月、專修寺に入寺。十六歳。 | ||
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天保三年(一八三二)十月十五日、專修寺附弟屆出。 | ||
圓禧 | |||
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天保七年(一八三六)十月二十五日、得度。二十歳。法諱「圓禧」 | ||
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天保九年(一八三八)三月二十一日、專修寺を相續する(仁孝天皇より住持職の綸旨を賜わる)。二十二歳。 | ||
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天保十五年(一八四四)五月六日、大僧都に任じられ、法眼に敍される。二十八歳。
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弘化二年(一八四五)正月十八日(イ二月十六/十八日)、法印に敍される。
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弘化二年(一八四五)六月十二日、僧正に任じられる。 | ||
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弘化三年(一八四六)四月二十七日、大僧正に任じられる。三十歳。
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文久元年(一八六一)五月八日(陽暦六月十五日)死亡。 | ||
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文久元年(一八六一)五月十六日「遷化」。四十五歳。 | ||
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號「C淨樂院」 |
介子 よしこ 藤原朝臣政通[鷹司]の二女。 生母は三角典藥の女子。 文化八年(一八二一)三月十二日生。 天保十一年(一八四〇)九月二十五日婚姻。 天保十五年(一八四四)二月八日/十三日歿。 法號「授光院明淨圓秩」 |
廉子 きよこ 生母は家女房「お幾」(「幾浦」「映芳院」。沼尾光氏の二女)。 嘉永二年(一八四九)九月十七日生。 藤堂高猷(たかゆき)の養女となる。 常磐井堯煕(圓禔。圓禧の附弟)の室。 明治三十八年(一九〇五)六月二十二日歿。 |
伊勢國安濃津の旭耀山彰見寺第十四世住職 「有厚院殿釋コ恭圓祁上人」 嘉永四年(一八五一)二月二日生。 幼名「恒若(ひさわか)」 萬延元年(一八六〇)十一月得度。法號「有厚院」 慶應三年(一八六七)四月、彰見寺住職となる。 明治十四年(一八八一)十二月、權中教正に補される。 大正二年(一九一三)歿。 「容姿端麗、書と画とに巧みに、漢詩を嗜んだ。また法話、座談にも説得力があり、終生一宗に重きをなした」という。 ※ 小妻隆文『彰見寺誌』(三重県津市大谷町、彰見寺、昭和四十六年(一九七一)三月) ※「彰見寺について | 宗教法人彰見寺」 http://www.shokenji.net/about/ |
安政元年(一八五四)十二月生。 安政二年(一八五五)正月二十一日沒。 「乘華院聞名圓修」 |
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円禧上人のご生涯 | 高田派の歴代上人 | 高田本山 専修寺の歩み | 真宗高田派本山 専修寺 http://www.senjuji.or.jp/_about/rekidai_shonin20.php |
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『專修寺門室歴世系譜』(『真宗史料集成 第七巻』所収) 七四六〜七四七頁 |
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『新修 有栖川宮系譜』 八二頁 |
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『平成新修 旧華族家系大成 下巻』 一四九頁 |
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