源和子


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[和子@]

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和子
 
 のち源朝臣和子
 
 
醍醐天皇の女御。「承香殿女御」
『河海抄』「桐壺」
醍醐天皇後宮 ・・・・・
女御正三位源朝臣和子(同【光孝天皇】皇女。承香殿女御)
 
【出自】
 光孝天皇の「皇女」。
 
【經歴】
仁和元年(八八五)四月十四日、源朝臣を賜姓され、時服月料に預かる。
『日本三代實録』仁和元年四月十四日戊辰
皇女和子、賜姓源朝臣。預時服月料。
『一代要記』丙集「光孝天皇」皇女「和子」
仁和元年四月賜姓。
『歴代編年集成』「光孝天皇」「如源朝臣和子」
仁和元年四月賜姓。
醍醐天皇の女御となり、「承香殿女御」と稱される。
『河海抄』「若菜上」
皇女賜源氏姓例
・・・・・
醍醐天皇時女御正三位源朝臣和子(承香殿。光孝天皇々女)。
『一代要記』丙集「光孝天皇」皇女「和子」
女御正三位
『一代要記』丙集「醍醐天皇」後宮
女御正三位源和子(光孝源氏)
正三位に敍される。
『河海抄』「若菜上」
『一代要記』丙集「光孝天皇」皇女「和子」
『一代要記』丙集「醍醐天皇」後宮
延喜三年(九〇三)、慶子内親王を生む。
延喜六年(九〇六)、常明親王を生む。
延喜六年(九〇七)、式明親王を生む。
延喜十年(九一〇)、有明親王を生む。
延喜十八年(九一八)、韶子内親王を生む。
延喜十八年(九一八)、醍醐天皇が美濃介紀朝臣貫之に勅し、承香殿女御(源朝臣和子)の御屏風の和歌を奉らせた。
『紀貫之集』四
  延喜十八年、承香殿女御屏風歌、依仰獻之。水邊に梅花さきたる、
梅花またちらねとも行水のそこにうつれる影そみえける
  鴈のかへるに旅人あり
ともともに思ひきつれと雁金のおなし里へも歸らさりけり
  藤花
うつろはぬ色にゝるともなき物を松か枝にしもかゝる藤浪
  櫻花の散所
同し色に散しまかへは櫻花ふりにし雪のかたみとそ見る
  人出て春野にあそふ
春にかく成ぬる時の野へみれは草のみとりに色こかりけり
  河邊の松
松をのみときはと思へはよとゝもになかるゝ水もみとりなり鳧
やな見れは河かせいたく吹時そ浪の花さへ落まさりける
雨ふるとふく松風は聞ゆれと池のみきはもまさらさりけり
  女どもあまた秋の野にゐて花見たる所
花の色はあまたみれとも人しれす萩の下葉そなかめられける
  女のもとに男いたりておはなの下にたてり
吹風になひくをはなを打つけにまねく袖かと思ひけるかな
  くれの秋女車の紅葉の中をゆく
紅葉はのぬさともちるか秋はてゝたつた姫こそ歸るへらなれ
  月の下の白菊
色そむる物ならなくに月かけのうつれる枝のしら菊の花
  旅行人松の雪を見る
白妙に雪のふれゝは小松はら色のみとりもかくろへにけり
  人家に佛名の朝に導師の歸に法師男とも庭におり立て遊ふあひたに雪ふりかゝれる梅花折
梅花をりしまとへは足引の山路の雪とおもほゆるかな
『大日本史料』第一編之五、延喜十八年是歳、八八〜八九頁「美濃介紀貫之ニ勅シテ、承香殿女御及ビ勤子内親王ノ御屏風ノ和歌ヲ上ラシム、」
延喜二十一年(九二一)、齊子内親王を生む。
天暦元年(九四七)七月二十一日、薨逝。
『日本紀略』天暦元年七月廿一日甲辰
此日女御正三位源和子薨(或閏月十日云々)。
 
【子女】
 □
慶子内親王
 □ 常明親王
 □ 式明親王
 □ 有明親王
 □ 韶子内親王
 □ 齊子内親王
 
【文獻等】
稿本 醍醐天皇實録』 八三一〜八三六頁 「女御源和子」
『大日本史料』第一編之九、天暦元年七月二十一日、二六〜二八頁「醍醐天皇女御正三位源和子薨ズ、」


 
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公開日時:2026.05.21.

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