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九〇六年(延喜六年)生。
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將明親王
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延喜八年(九〇八)四月五日、立親王。三歳
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『一代要記』三「第六十醍醐天皇」皇子「常明親王」
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『日本紀略』延喜八年四月五日
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常明親王
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延喜十一年(九一一)十一月二十八日、「常明」と改名。
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『日本紀略』延喜十一年十一月二十八日
皇太子崇象親王、改名保明。又第一將順親王、改名克明。第三將觀親王、改名代明。第四將保、爲重明。第五將明、爲常明。以第六式明・第七有明等、爲親王。又以皇女敏子・雅子・普子等、爲内親王。
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延喜十八年(九一八)八月二十三日、初めて參内し、白褂一重を賜わる。
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故實叢書本『西宮記』十一 裏書
同【延木】十八ー八−廿三ー、第五皇子、始參入。於中庭拜舞。召御前、賜白褂一重。下殿、拜舞、出。右大將・右衞門督・左兵衞督・左近中將恒佐朝臣、并殿上侍臣等、扈從皇子直廬。
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延喜二十一年(九二一)十一月二十四日、清凉殿で元服。
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『日本紀略』延喜二十一年十一月廿四日乙巳
今上童親王四人、第四重明、第五常明、第六式明、第七有明、於内裏加元服。
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『三代御記逸文集成』所收『御記纂』七七〜七八頁所引『河海抄』所引『醍醐天皇御記』延喜廿一年十一月廿四日
於C凉殿元服 加冠右大臣。理髪右兵衞督藤兼茂朝臣。常明・有明等親王、同日元服。加冠右近大將藤定方卿。理髪右近中將藤【橘】公ョ朝臣。・・・・・
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『御遊抄』「親王御元服」
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『小右記』長和二年三月廿三日甲寅
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四品に敍される。
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承平六年三月十三日までに上野太守に任じられた、と推定されている。
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『醍醐寺雜事記』所引『李部王記』承平六年三月十三日
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『稿本 醍醐天皇實録』 一〇四五頁〔按〕に、
本條醍醐寺雜事記所引李部王記ニ上野太守トアルハ、前後ノ諸皇子ノ官歴ヨリ察スルニ恐ラク常明親王ヲ指セルナルベシ、尚ホ皇子式明親王ノ項、承平元年九月二十九日ノ條ノ按文ヲ參照スベシ、
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とある。
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天慶二年(九三九)二月八日、太政大臣藤原朝臣忠平の發議により、兄弟たちと共に、朱雀院の庄田を醍醐寺三昧堂に施入。
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『醍醐寺雜事記』所引『李部王記』承平八年十一月十三日
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『醍醐寺雜事記』所引『李部王記』天慶二年二月七日
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『醍醐寺雜事記』所引『李部王記』天慶二年二月八日
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天慶七年(九四四)十一月九日薨。『一代要記』によると享年三十九歳。
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『日本紀略』天慶七年十一月九日戊寅
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前田家本『西宮記』六、十一月「中寅御鎭魂」裏書
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『一代要記』三「第六十醍醐天皇」皇子「常明親王」
四品。元将明。母女御和子、光孝源氏、號承香殿女御。延喜八年四月五日、爲親王、年三歳。天慶七年十一月九日薨。年三十九歳。
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