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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[利見]

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利見王
 のちC原眞人利見
 
【出自】
 未詳。
 舍人親王(天武天皇の男子)の後裔か。
 
【經歴】
利見王
正六位上に敍される。
嘉祥二年(八四九)正月七日、正六位上から從五位下に敍される。
『續日本後紀』嘉祥二年正月壬戌
[授]无位安原王、正六位上利見王、並從五位下。
嘉祥三年(八五〇)六月二十一日、文コ天皇即位由奉幣の伊勢使王を勤仕。時に散位從五位下。
『日本文コ天皇實録』嘉祥三年六月丁卯
遣散位從五位下利見王、~祇少副正六位上中臣朝臣薭守等、參伊勢太~宮。告以即位之由。
『日本紀略』嘉祥三年六月丁卯
嘉祥四年(八五一)二月十三日、先皇(仁明天皇)御忌齋會行事司に定められ檢校講讀二師房司となる。時に散位從五位下。
『日本文コ天皇實録』仁壽元年二月丙辰
定 先皇御忌齋會行事司。・・・・・ 散位從五位下興岑王・利見王 ・・・・・ 爲檢校講讀二師房司。
仁壽二年(八五二)七月二十七日、安宗王と共に廣瀬・龍田兩社への奉幣使を勤仕。時に散位從五位下。
『日本文コ天皇實録』仁壽二年七月壬辰
遣散位從五位上安宗王、從五位下利見王、向廣瀬・龍田神社奉幣馬。爲祈年也。
仁壽三年(八五三)八月八日、少納言に任じられる。
『日本文コ天皇實録』仁壽三年八月丙寅
從五位下利見王爲少納言。
齊衡二年(八五五)九月六日、宇佐の八幡大菩薩宮への奉幣使を勤仕。時に少納言從五位下。
『日本文コ天皇實録』齊衡二年九月壬子
遣少納言從五位下利見王、向八幡大菩薩[宮]。策命曰。 天皇詔旨掛畏八幡大菩薩廣前牟毛申給倍止。東大寺盧舍那佛佐保天皇【聖武天皇】御世大菩薩知識奉唱奉造給倍利。而時代久經尓天自然毀損礼天、去五月廿三日、頽落給尓太利。今本志奴倍支尓、奉造固无止須。今亦大菩薩相助護賜牟尓、佛奉[造]固、天下平安介久倍支。故是以少納言從五位下利見王差使、宇豆太幣帛令捧持奉出須止、恐牟毛申賜久止申。別辭。大宰府申。前与利波世、去閏四月奴止。此聞食、悦賜比天奈毛悦。太幣帛令副捧奉出賜。掛畏大菩薩、如故安穩万利、天皇常磐堅磐夜守日守利尓護給矜賜倍止牟毛申賜久止申。
『東大寺要録』
齊衡三年(八五六)正月七日、從五位下から從五位上に敍される。
『日本文コ天皇實録』齊衡三年正月辛亥
[授]從五位下利見王從五位上。
齊衡三年(八五六)正月七日から天安二年(八五八)正月十六日までの間にC原眞人を賜姓される。
C原眞人利見
天安二年(八五八)正月十六日、石見守となる。
『日本文コ天皇實録』天安二年正月己酉
從五位上C原眞人利見爲石見守。
天安二年(八五八)二月五日、大膳大夫となる。
『日本文コ天皇實録』天安二年二月戊辰
從五位上C原眞人利見爲大膳大夫。
天安二年(八五八)三月十三日、越後守となる。
『日本文コ天皇實録』天安二年三月甲戌
從五位上C原眞人利見爲越後守。
貞觀八年二月十三日、散位頭となる。時に從五位上。
『日本三代實録』貞觀八年二月十三日己未
從五位上C原眞人利見爲散位頭。


 
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公開日時: 2011.10.13.

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