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明治四十一年(一九〇八)四月二十九日午前四時二十六分、東京市麹町區富士見町の山階宮邸にて出生。
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『法令全書』明治四十一年四月 告示
○宮内省告示第四號
四月二十九日午前四時二十六分菊麿王妃殿下分娩王男子誕生セラル
明治四十一年四月三十日 宮内大臣 伯爵田中光顯
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茂麿王
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明治四十一年(一九〇八)五月一日、「茂麿」と命名。
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『法令全書』明治四十一年五月 告示
○宮内省告示第六號
四月二十九日午前四時二十六分誕生セラレタル菊麿王殿下ノ王男子名ヲ茂麿ト命セラル
明治四十一年五月一日 宮内大臣 伯爵田中光顯
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大正十一年(一九二二)三月三十日、學習院中等科第一學年を修了、翌三十一日退學。
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大正十一年(一九二二)四月一日、東京陸軍幼年學校に入學。
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大正十四年(一九二五)三月十七日、東京陸軍幼年學校を卒業。
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大正十四年(一九二五)四月一日、陸軍士官學校予科に入學。
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昭和二年(一九二七)三月二十二日、陸軍士官學校予科を卒業。
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昭和二年(一九二七)四月二日、陸軍士官候補生となる。
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昭和二年(一九二七)十月一日、陸軍士官學校本科に入學。
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昭和三年(一九二八)四月二十九日、貴族院の議席に列される。
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昭和三年(一九二八)五月十六日、成年式。
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『法令全書』昭和三年五月 告示 「宮内省告示第十一號」
本日茂麿王殿下成年式ヲ濟マセラル
昭和三年五月十六日
宮内大臣 一木喜コカ
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昭和四年(一九二九)七月十七日、陸軍士官學校本科を卒業。
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昭和四年(一九二九)十月二十五日、陸軍歩兵少尉に任じられ、勲一等に敍され、旭日桐花大綬章を授けられる。
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葛城茂麿 [伯爵]
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昭和四年(一九二九)十二月二十四日、臣籍降下。「葛城(カツラギ)」の家名を賜わり、伯爵を授けられ、從四位に敍される。
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『法令全書』昭和四年十二月 告示 「宮内省告示第四十四號(官報 十二月二十六日)」
本日勲一等茂麿王殿下ノ情願ヲ允サレ葛城
ノ家名ヲ賜ヒ華族ニ列セラル
昭和四年十二月二十四日
宮内大臣 一木喜コカ
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昭和七年(一九三二)十月二十五日、陸軍歩兵中尉に任じられる。
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昭和八年(一九三三)十一月二十五日、細川護立の一女 敏子と結婚する。
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昭和十年(一九三五)十二月二十八日、正四位に敍される。
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昭和十一年(一九三六)八月一日、陸軍歩兵大尉に任じられる。
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昭和十六年(一九四一)三月一日、陸軍歩兵少佐に任じられる。
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昭和十八年(一九四三)一月十五日、從三位に敍される。
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昭和二十年(一九四五)三月一日、陸軍歩兵中佐に任じられる。
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昭和二十二年(一九四七)一月十日午後一時四十五分、東京帝國大學醫學部附屬病院において、急性白血病により死去。四十歳。
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昭和二十二年(一九四七)一月十五日、埋葬。院號「松樹院」。
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