池田安喜子


前頁 「 安 [安基]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[安喜子]

フレームなし


安喜子女王 あきこ
 のち池田安喜子 いけだ あきこ
 
【出自】
 
朝彦親王[久邇宮]の三女。
 
【生母】
 泉亭静枝(静枝子)
 
【經歴】
安喜子女王
明治三年(一八七〇)六月八日生。
池田安喜子
明治二十三年(一八九〇)十二月二十四日、池田詮政[岡山]に降嫁
『官報』第二二四九號 明治二十三年十二月二十五日 告示 宮内省告示第三十號
朝彦親王第三女安喜子女王殿下勅許ヲ經テ昨二十四日 正三位侯爵池田章政男
正五位池田詮政ニ歸嫁セラル
    明治二十三年十二月二十五日   宮内大臣 子爵土方久元
大正九年(一九二〇)一月一日歿。
 
【配偶】
 池田詮政 いけだ のりまさ 
 池田信濃守源朝臣政詮[備中鴨方](のち池田章政[岡山](侯爵))の一男。
 慶應元年(一八六五)十二月二十四日生。
 島津忠義[鹿児島]の二女、充子と婚姻。
 明治二十二年(一八八九)五月、充子と離縁。
 明治三十六年(一九〇三)七月一日、侯爵の爵位を承襲。
 明治四十二年(一九〇九)六月一日歿。
 
【子女】
(池田博子 のち細川博子 かねこ) 
 池田詮政の一女。(池田安喜子の繼子)
 細川護立(ほそかわ もりたつ。侯爵)の夫人。
 細川護貞、葛城敏子(葛城茂麿(もと茂麿王。菊麿王[山階宮]の五男)の妻)らの母。
 明治二十二年(一八八九)一月二十二日生。
 昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族の身位を喪失する。
 昭和四十二年(一九六七)十月二十七日歿。
 ※『平成新修 旧華族家系大成 下巻』 四七六〜四七七頁
 池田鋠子 のち烏丸鋠子 しんこ 
 池田詮政の二女。
 烏丸光大(からすまる みつまさ。伯爵)の夫人。
 明治二十五年(一八九二)一月十一日生。
 昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族の身位を喪失する。
 昭和三十六年(一九六一)四月三日歿。
 ※『平成新修 旧華族家系大成 上巻』 四五三頁

 池田温子 のち六條温子 よしこ 
 池田詮政の三女。
 六條有直(子爵)の夫人。
 明治二十五年(一八九二)十二月十三日生。
 昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族の身位を喪失する。
 昭和二十九年(一九五四)三月十二日歿。
 ※『平成新修 旧華族家系大成 下巻』 八四一頁
 池田禎政 いけだ ただまさ 
 池田詮政の一男。
 明治二十八年(一八九五)四月二十二日生。
 明治四十二年(一九〇九)六月十七日、侯爵を繼承。
 大正九年(一九二〇)一月十八日歿。
 池田政鋠 いけだ まさとし 
 池田詮政の二男。
 明治三十二年(一八九九)一月三十日生。
 池田政保(旧備中鴨方藩主。池田詮政の兄。子爵)の養子となる。
 昭和十二年(一九三七)二月十五日、子爵を繼承。
 昭和二十年(一九四五)七月十七日歿。
 ※『平成新修 旧華族家系大成 上巻』 九六頁
 池田政鈞 のち池田宣政 いけだ のぶまさ 
 池田詮政の三男。
 明治三十七年(一九〇四)七月一日生。
 大正九年(一九二〇)三月十日、侯爵を繼承。
 昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族の身位を喪失する。
 昭和六十三年(一九八八)一月九日歿。
 池田厚子(もと厚子内親王)の夫、池田髏ュの父。
 
【逸事等】
 流行性感冒のため死去。子息の池田禎政も同月内に歿す。
 
【文獻等】
 ●『平成新修 旧華族家系大成 上巻』 九二〜九三頁


 
次頁 「 安 [安貴]
『 親王 ・ 諸王略傳 』 目次 「 あ 」  『 親王 ・ 諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


更新日時: 2012.07.22.
公開日時: 2002.09.24.


Copyright: Ahmadjan 2002.9 - All rights reserved.