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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[文憲]

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文憲王 ふみのり
 のち賀陽文憲
 
【出自】
 
恒憲王[賀陽宮](のち賀陽恆憲)の四男。
 
【母】
 敏子
 恒憲王妃
 のち賀陽敏子
 九條道實の五女。
 
【經歴】
昭和六年(一九三一)七月十二日、誕生。
『官報』第一三六一號 昭和六年七月十四日 告示
○宮内省告示第十五號
恒憲王妃敏子殿下本日午前八時二十一分東
京市麴町區一番町二番地賀陽宮邸ニ於テ御
分娩王御誕生アラセラル
 昭和六年七月十二日
        宮内大臣 一木喜コカ
文憲王
昭和六年(一九三一)七月十八日、「文憲(フミノリ)」と命名される。
『官報』第一三六六號 昭和六年七月二十日 告示
○宮内省告示第十六號
本月十二日誕生セラレタル恒憲王殿下ノ第
四男子名ヲ文憲フミノリト命セラル
 昭和六年七月十八日
        宮内大臣 一木喜コカ
賀陽文憲
昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十三條の規定により、皇族の身分を離れる
『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示
○宮内府告示第十六号
 恒憲王妃敏子、邦壽王、治憲王、章
憲王、文憲王、宗憲王、健憲王、邦昭
王、朝建王、朝宏王、朝子女王、通子
女王、英子女王、典子女王、守正王妃
伊都子、孚彦王、孚彦王妃千賀子、誠
彦王、冨久子女王、美乃子女王、稔彦
王妃聰子内親王、盛厚王、盛厚王妃成子
内親王、信彦王、文子女王、俊彦王、
恒コ王妃光子、恆正王、恆治王、素子
女王、紀子女王及び春仁王妃直子各殿
下は、皇室典範第十三條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
 昭和二十二年十月十三日
     宮内府長官 松平 慶民
學習院大學卒業。
高島屋に就職。
 
【文獻等】
平成新修 旧華族家系大成 上巻』 三一頁


 
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公開日時: 2011.12.16.

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