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明治三十一年(一八九八)二月十五日、命名。御印は梅印。
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大正四年(一九一五)七月十三日、學習院中等科を中途退學。
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大正四年(一九一五)九月四日、海軍兵學校に入學。
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大正七年(一九一八)四月十三日、成年式。
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『法令全書』大正七年四月 告示 「宮内省告示第四號(官報 四月十五日)」
四月十三日武彦王殿下成年式ヲ濟マセラル
大正七年四月十三日 宮内大臣 子爵波多野敬直
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大正七年(一九一八)十一月二十一日、海軍兵學校を卒業し、海軍少尉候補生となる。
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大正八年(一九一九)八月一日、海軍少尉に任じられる。
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大正八年(一九一九)八月六日、勲一等に敍され、旭日桐花大綬章を授けられる。
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大正九年(一九二〇)十二月一日、横須賀の海軍航空隊に入り、皇族として初めて航空術を學び、「空の宮様」と稱される。
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大正十年(一九二一)十二月一日、海軍中尉に昇進する。
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大正十一年(一九二二)七月十九日、佐紀子女王(邦憲王[賀陽宮]の二女)と結婚。
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大正十二年(一九二三)九月一日の關東大地震により、懷妊中の佐紀子女王を失う。それ以後、~經過敏症を患う。
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大正十三年(一九二四)三月、拜島別邸へ轉住する。
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大正十三年(一九二四)十二月一日、海軍大尉に昇進する。
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昭和四年(一九二九)十一月三十日、海軍少佐に昇進。待命を仰せ付けられる。
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昭和五年(一九三〇)十一月七日、拜島別邸から本邸へ轉住する。
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昭和五年(一九三〇)十二月一日、休職を仰せ付けられる。
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昭和七年(一九三二)十一月三十日、予備役に編入される。
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昭和二十年(一九四五)三月九日の東京大空襲では本邸の一部が燒亡。四月十四日未明の空襲で本邸の大半が燒亡。
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『宣仁親王日記』昭和二十年三月十日(土)上欄
「賀陽宮全燒、山階宮一部ヤケタ。武彦王ハ山階侯【芳麿】ヘ一時御避難、午後御皈邸。東久邇宮官舍【防衛總司令官官舍】燒ケ周圍モエタガ無事。
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『宣仁親王日記』昭和二十年四月十四日(土)上欄
〇四三〇事ム官【吉島六一郎】ヨリ電話ニテ、三陛下御安泰、各宮無事ナルモ、宮城(主馬寮、賢所、參集所等火災)、大宮御所(衛兵所火災)、山階宮邸全燒(〇一三〇頃山階侯邸ヘ御避難)ノ由。
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昭和二十年(一九四五)四月二十二日、寄居別邸に轉住。
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昭和二十年(一九四五)五月二十五日、空襲により本邸全燒。
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昭和二十一年(一九四六)十月二十二日、鎌倉邸に轉住。
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