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當時、四世王、五世王、嫡子である六世王には蔭位は正六位上、庶子である六世王には蔭位は正六位下。よって、正六位上である富貞王は四世王・五世王・六世王のいずれかであると考えられる。 また、富貞王の諸子には王號がないので、彼らが六世以上である可能性は低い。 從って、富貞王は六世王である可能性が高い。 |
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『日本三代實録』仁和元年二月十五日辛丑 |
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元慶九年(八八五)二月十五日までに正六位上に敍される。
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鈴木眞年『百家系圖稿』巻十「天智天皇御流」は、「高田王(春日親王ノ子)」の子「長谷王【もと「嶋原王」と書いたのを抹消して横に書き直してある】」の子「眞貞王」の子と作す。 |
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中田憲信『皇胤志』には不見。 |
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