◎ |
『法令全書』昭和八年一月 告示 「宮内省告示第四號(官報 一月十八日)」
本日美年子女王殿下從三位勲三等子爵立花
種忠嗣子從五位立花種勝ニ嫁セラル
昭和八年一月十七日
宮内大臣 一木喜コカ
|
|
◎ |
『高松宮日記』昭和八年一月七日
「本日、みね樣【美年子女王】御ゆいのふ。あや樣【禮子女王】御申込。
|
|
◎ |
『高松宮日記』昭和八年一月八日
六時より北白川宮晩餐。みね樣【美年子女王】のおわかれなり。成年以上の皇族方にて、禮樣【禮子女王】などいらせられず。變に感ず。いつもと事變りて。
|
|
◎ |
『牧野伸顯日記』昭和八年一月九日
北白川宮午餐に陪席。美年宮樣御婚儀に付御分れの御宴なり。・・・・・
|
|
◎ |
『木戸幸一日記』昭和八年一月十日
正午、北白川宮邸に參入。美年子女王御降嫁につき午餐を賜る。
|
|
◎ |
『高松宮日記』昭和八年一月十七日上欄【※宣仁親王、聯合艦隊演習中】
十時佐伯入港。今日は美年樣【美年子女王】の御結婚式の日なり。東京も雨かしら。
まだ私達はこの日を祝ふ心よりさびしい氣の方が先きになる。九條公爵【道實】の重態の結果如何。この二つの相關するところ如何。
|
|
◎ |
『高松宮日記』昭和八年五月二十三日
夕食。立花樣【種勝・美年子】お二人をお招きして、私は御結婚后初めてお目にかゝる。みね樣とても御けんそんにて、御あいさつなど丁重をきはむとの噂なりしも、今までと大して變つたことなく愉快にお話す。
|
|