房世王 / 平房世
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『日本三代實録』貞觀九年正月十七日戊午
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房世王 | ||||
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承和十三年(八四六)正月七日、從四位下に敍される。
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治部大輔となる。 | |||
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承和十四年(八四七)十二月十九日、右大臣橘氏公の喪事を監護する。時に從四位下行治部大輔。
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承和十五年(八四八)二月十四日、宮内大輔となる。
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嘉祥三年(八五〇)三月十四日、柏原山陵使となる。時に從四位下行宮内大輔。
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嘉祥三年(八五〇)十月五日、賀瑞を奉告するために、嵯峨山陵へ遣わされる。時に從四位下宮内大輔。
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嘉祥三年(八五〇)十一月三十日、惟仁親王の立太子を奉告するために、嵯峨山陵へ遣わされる。時に從四位下宮内大輔。
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嘉祥四年(八五一)四月一日、次侍從に補される。
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仁壽二年(八五二)二月十五日、中務大輔となる。
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天安二年(八五八)二月五日、武藏權守となる。
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天安二年(八五八)三月八日、越中權守となる。
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天安二年(八五八)八月二十七日、文コ天皇が崩御し、送葬諸司の養役夫司を勤仕。時に從四位下行越中權守。
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天安二年(八五八)十一月一日、C和天皇即位由奉幣の使王を勤仕。時に從四位下行越中[權]守。
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貞觀二年(八六〇)閏十月二十五日、故同子内親王の装束・山作等司の装束司長官を勤仕(喪家は辭退して受けず)。時に從四位下行越中權守。
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貞觀三年(八六一)正月十三日、越前權守となる。
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貞觀四年(八六二)正月七日、從四位上に昇敍。
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平朝臣房世 | ||||
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貞觀五年(八六三)八月八日、平朝臣を賜姓される。
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貞觀六年(八六四)三月八日、彈正大弼となる。
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貞觀七年(八六五)正月二十七日、河内權守となる。
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貞觀九年(八六七)正月十二日、河内權守から河内守に轉じる。
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攝津守となる。 | |||
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貞觀十九年(八七七)正月三日、陽成天皇即位敍位において正四位下に昇敍。
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元慶六年(八八二)七月二十八日、參上しなかった右相撲司の雅望王らに替り、その闕を補う。時に散位正四位下。
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元慶七年(八八三)八月二十一日、卒去。時に正四位下行因幡守。
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『稿本桓武天皇實録』四一六〜四一九頁「皇孫房世王」 |
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