● |
昭和二年(一九二七)十月二十三日、誕生。
◎ |
『法令全書』昭和二年十月 告示「宮内省告示第十九號 (官報 十月二十五日)」
朝融王妃殿下本日午後零時二十九分東京市
本郷區本富士町東京帝國大學醫學部附屬醫
院ニ於テ御分娩女王御誕生アラセラル
昭和二年十月二十三日
宮内大臣 一木喜コカ
|
|
|
朝子女王
|
● |
昭和二年(一九二七)十月二十九日、命名。
◎ |
『法令全書』昭和二年十月 告示「宮内省告示第二十五號 (官報 十月三十一日)」
本月二十三日誕生セラレタル朝融王殿下ノ
女王名ヲ朝子ト命セラル
昭和二年十月二十九日
宮内大臣 一木喜コカ
|
|
|
久邇朝子
|
● |
昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十三條の規定により、皇族の身分を離れる。
◎ |
『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示
○宮内府告示第十六号
恒憲王妃敏子、邦壽王、治憲王、章
憲王、文憲王、宗憲王、健憲王、邦昭
王、朝建王、朝宏王、朝子女王、通子
女王、英子女王、典子女王、守正王妃
伊都子、孚彦王、孚彦王妃千賀子、誠
彦王、冨久子女王、美乃子女王、稔彦
王妃聰子内親王、盛厚王、盛厚王妃成子
内親王、信彦王、文子女王、俊彦王、
恒コ王妃光子、恆正王、恆治王、素子
女王、紀子女王及び春仁王妃直子各殿
下は、皇室典範第十三條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
昭和二十二年十月十三日
宮内府長官 松平 慶民
|
|
|
島津朝子
|
● |
昭和二十二年(一九四七)十月二十九日、島津齊視と結婚。
※ |
飯田町大~宮にて。媒酌は島津忠重・伊楚子。
|
◎ |
『しらゆき ── 島津忠重 伊楚子 追想録 ──』(東京、島津出版会、昭和五十三年(一九七八)四月) 五〇六頁
|
|
● |
昭和三十九年(一九六四)八月二十一日歿。三十六歳。
|