● |
昭和八年(一九三三)九月四日、生誕。
◎ |
『官報』第二〇〇六號 昭和八年九月六日 告示
○宮内省告示第十八號
朝融王妃知子女王殿下本日午後四時三分東
京市本郷區本富士町東京帝國大學醫學部附
屬醫院ニ於テ御分娩女王御誕生アラセラル
昭和八年九月四日
宮内大臣 湯淺 倉平
|
|
|
通子女王
|
● |
昭和八年(一九三三)九月十日、「通子(ミチコ)」と命名。
◎ |
『官報』第二〇一一號 昭和八年九月十二日 告示
○宮内省告示第十九號
本月四日誕生セラレタル朝融王殿下ノ第三
女子名ヲ通子ト命セラル
昭和八年九月十日
宮内大臣 湯淺 倉平
|
|
|
久邇通子
|
● |
昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十三條の規定により、皇族の身分を離れる。
◎ |
『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示
○宮内府告示第十六号
恒憲王妃敏子、邦壽王、治憲王、章
憲王、文憲王、宗憲王、健憲王、邦昭
王、朝建王、朝宏王、朝子女王、通子
女王、英子女王、典子女王、守正王妃
伊都子、孚彦王、孚彦王妃千賀子、誠
彦王、冨久子女王、美乃子女王、稔彦
王妃聰子内親王、盛厚王、盛厚王妃成子
内親王、信彦王、文子女王、俊彦王、
恒コ王妃光子、恆正王、恆治王、素子
女王、紀子女王及び春仁王妃直子各殿
下は、皇室典範第十三條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
昭和二十二年十月十三日
宮内府長官 松平 慶民
|
|
|
● |
學習院短期大學(家庭生活科)を卒業。
|
● |
學習院大學聽講生となる。
|
● |
昭和三十四年(一九五九)一月、大協石油に入社。
|
永岡通子
|
● |
昭和三十四年(一九五九)十二月、永岡義久と結婚。
|
久邇通子
|
● |
昭和三十九年(一九六四)五月、永岡義久と離婚。
|
酒井通子
|
● |
昭和三十九年(一九六四)、酒井省吾と結婚。
|