忠範王
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貞觀六年(八六四)正月七日、無位より從四位下に敍される。
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貞觀七年(八六五)正月二十七日、中務大輔に任じられる。
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貞觀七年(八六五)二月十七日、C和天皇の勅により、參議右大辨大枝朝臣音人と共に、天智天皇の山階山陵に遣わされ、~靈池の水が沸騰したことを告げた。時に從四位下行中務大輔。
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貞觀八年(八六六)十二月二十九日、荷前使の次侍從となる。
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貞觀十年(八六八)二月十七日、中務大輔より民部大輔に任じられる。
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從四位上に敍される。 | ||||||
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山城守に任じられる。 | ||||||
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貞觀十八年(八七六)十二月十七日、陽成天皇の即位由奉幣の伊勢使王を勤仕。時に前山城守從四位上。
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左京大夫となる。 | ||||||
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元慶元年(八七七)七月十九日、改元の由を告げる奉幣使として松尾社に遣わされる。時に左京大夫從四位上。
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元慶四年(八八〇)二月六日、卒去。時に從四位上行左京大夫。
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『稿本桓武天皇實録』四五九〜四六一頁「皇孫忠範王」 |
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