忠相王, 源忠相


前頁 「 忠 [忠繼]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[忠相]

フレームなし

工事中

忠相王
 
 のち源朝臣忠相
 
【出自】
 
興基王のち源朝臣興基)の男子。
 人康親王の孫。
 仁明天皇三世
 
【經歴】
忠相王
元慶四年(八八〇)二月八日に父 興基王が源朝臣を賜姓された際に、賜姓から漏れる。
源朝臣忠相
元慶四年(八八〇)六月二十一日、源朝臣を賜姓される。
『日本三代實録』元慶四年六月廿一日癸卯
左京人忠相王、敏相王、宜子女王賜姓源朝臣。即是從四位上行左馬頭源朝臣興基之男女也。興基賜姓之日、脱落不載。故今追賜焉。
正六位上に敍される。
右近衞將監となる。
元慶八年(八八四)十一月二十七日、正六位上から從五位下に敍される。
『日本三代實録』元慶八年十一月廿七日甲申
授右近衛將監正六位上源朝臣忠相、左衛門大尉平朝臣有廣、丞【並】從五位下。
『類聚國史』卷第百一「職官」六、元慶八年十一月廿七日甲申
授右近衛將監正六位上源朝臣忠相、左衛門大尉平朝臣有廣、並從五位下。
仁和二年(八八六)六月十三日、右兵衞權佐に任じられる。
『日本三代實録』仁和二年六月十三日辛酉
散位從五位下源朝臣忠相爲右兵衛權佐。
昌泰元年(八九八)十月二十日から十日間にわたって山城・大和・河内で開催された、宇多上皇の遊猟に、右方の番子として參加。時に左兵衞佐。
紀長谷雄『紀家集』所收「競狩記」
 
【文獻等】
稿本仁明天皇實録』三九四頁「皇曾孫忠相王」


 
次頁 「 忠 [忠子@]
『 親王・諸王略傳 』 目次 「 ち 」  『 親王・諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王・諸王 』 の目次


更新日時:2023.04.01.
公開日時:2022.05.10.

Copyright: Ahmadjan 2022.5 - All rights reserved.