多王 / 三園多


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
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多王 オホ
 
 のち三園眞人[多]
 
【出自】
 左京人
 
磯城親王天武天皇の男子)の後裔。
『新撰姓氏録』左京皇別「三園眞人」
出自謚天武天皇皇子淨廣壹磯城親王之後也。
 
【經歴】
多王
*三園眞人多
延暦二十四年(八〇五)二月十五日、三園眞人を賜姓される。
『日本後紀』延暦廿四年二月乙卯
左京人多王、登美王等十七人、賜姓三園眞人。
 
【三園眞人】
佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考證篇 第一、二二二頁に、
 三園の氏名について、栗田寛は「地名と聞ゆ、美曾能ミソノと訓べし」というが、三園の氏名を御園にも作るので、宮中内の園(苑)にもとづくものか。
とある。
 
【三園眞人(御園眞人)の氏人】
御園眞人藤子 
三園蔭實 
三園千桂 
姓が眞人であるとは明記されていないが、三園眞人姓であると考えられる。
『本朝世紀』天慶八年八月十三日丙子
少外記三園千桂
少外記に任じられる。
『九條殿記』駒牽、天慶七年九月十四日癸未
此日、牽進信濃諸牧御馬。・・・・・ 外記千柱【三園千桂】持來御馬解文云 ・・・・・
『九條殿記』荷前、天慶八年十二月廿日壬午
此日、有荷前事。・・・・・ 仍竊仰外記千桂【三園】令勘天智天皇陵參議參之例。千桂申云。・・・・・
『貞信公記抄』天慶九年五月廿七日
外記千桂【三園】云。今日令卜齋宮、英子内親王合也。以少將爲善朝臣【源】令告彼家。
三薗正則 
三園眞人姓であると考えられる。
天喜四年(一〇五六)三月十日、伊賀國玉瀧杣の「御杣工等」の一人として解文に署名。
『東南院文書』三ノ五「伊賀國玉瀧杣湯船等四村工解」(『平安遺文』古三、八七四頁下)
・・・・・
    天喜四年三月十日 御杣工等近江「吉忠」
                 ・・・・・
                 三薗「正則」
                 ・・・・・ 
 
【文獻等】
佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考證篇 第一(吉川弘文館、昭和五十六年(一九八一)十二月第一刷) 二二一〜二二二頁


 
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更新日時:2015.04.06.
公開日時:2010.07.13.

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