● |
一三三〇(元コ二年)生。
※ |
『公卿補任』文和五年以前、延文六年〜應安二年の年齡からは、一三三〇(元コ二年)生と逆算される。
『公卿補任』延文二年〜延文五年の年齡からは、一三二九(嘉暦四年/元コ元年)生と逆算される。
『公卿補任』應安四年〜應安六年の年齡からは、一三三一(元コ三年/元弘元年)生と逆算される。
|
※ |
宗明が元コ二年(一三三〇)年二月十一日以前の出生であれば、宗明は、源朝臣久良の男子として生まれたこととなる。
|
|
宗明王
|
源朝臣宗明
|
● |
建武五年(一三三八)八月十一日、無位から從四位下に直敍、源朝臣を賜姓される。
◎ |
『玉英記鈔』宦位部、暦應元【建武五年】八[月]十一[日]
有勅問。「土御門入道親王【久良親王】息宗明王四品直敍、不可有難歟」。申云。「入道親王【久良】爲新院【花園院】御猶子之上者、可被許哉」。
|
|
|
● |
侍從に任じられる。
|
● |
暦應二年(一三三九)四月十八日、左近衞權中將に任じられる。
|
● |
暦應三年(一三四〇)七月十九日、正四位下に敍される。
|
● |
暦應四年(一三四一)四月十六日、從三位に敍される。十二歳。
◎ |
『公卿補任』暦應四年、非參議 從三位「源宗明(十二)」
【袖書】入道久良親王男(後深草院御曾孫。一品久明親王孫)。
|
建武五年八月十一日從四下。賜源氏姓。任侍從。暦應二年四月十八日任左近中將。三年七月十九日叙正四下(二階)。
|
|
◎ |
『公卿補任』康永元年【一三四二】、非參議 從三位「源宗明(十三)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』康永二年【一三四三】、非參議 從三位「源宗明(十四)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』康永三年【一三四四】、非參議 從三位「源宗明(十五)」尻付
|
|
● |
康永四年(一三四五)四月十六日、正三位に敍される。十六歳。
◎ |
『園太暦』康永四年四月十六日
|
◎ |
『公卿補任』康永四年、非參議 從三位「源宗明(十六)」尻付
|
|
● |
貞和二年(一三四六)二月十八日、權中納言に任じられる。十七歳。
◎ |
『公卿補任』貞和二年、非參議 正三位「*源宗明(十七)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』貞和二年、權中納言 正三位(【右傍注】位冬通上)「源宗明」尻付
|
◎ |
『公卿補任』貞和三年【一三四七】、權中納言 正三位「源宗明」尻付
|
|
● |
貞和四年(一三四八)四月十二日、從二位に敍される。十九歳。
◎ |
『園太暦』貞和四年四月十二日
今日被行縣除目下名云々。
下名加任聞書
・・・・・
貞和四年四月十二日
・・・・・
従二位源宗明 ・・・・・
・・・・・
|
|
◎ |
『公卿補任』貞和四年、權中納言 正三位「*源宗明」尻付
|
|
● |
貞和四年(一三四八)十二月二十四日、權大納言に任じられる。
◎ |
『公卿補任』貞和四年、權中納言 正三位「*源宗明」尻付
|
◎ |
『公卿補任』貞和四年、權大納言 從二位(【右傍注】位實夏下)「源宗明(十九)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』貞和五年【一三四九】、權大納言 從二位「源宗明(二十)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』貞和六年【一三五〇】、權大納言 從二位「源宗明(二十一)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』觀應二年【一三五一】、權大納言 從二位「源宗明(二十二)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』觀應三年【一三五二】、權大納言 從二位「源宗明(二十三)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』文和二年【一三五三】、權大納言 從二位「源宗明(二十四)」尻付
|
|
● |
文和三年(一三五四)十月二十二日、權大納言を辭任。二十五歳。
◎ |
『公卿補任』文和三年、權大納言 從二位「△源宗明(二十五)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』文和三年、前權大納言 從二位「源宗明(二十五)」尻付
|
|
● |
文和四年(一三五五)八月十三日、正二位に敍される。二十六歳。
◎ |
『公卿補任』文和四年、前權大納言 從二位(【右傍注】〔公卿位記追被書入例さ〕)「源宗明(二十六)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』文和五年【一三五六】、前權大納言 正二位「源宗明(二十七)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』延文二年【一三五七】、前權大納言 正二位「源宗明(二十九【ママ】)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』延文三年【一三五八】、前權大納言 正二位「源宗明(三十【ママ】)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』延文四年【一三五九】、前權大納言 正二位「源宗明(三十一【ママ】)」尻付
|
|
● |
延文五年(一三六〇)四月十六日、從一位に敍される。三十一歳。
◎ |
『後深心院關白記』延文五年四月十六日壬申
|
◎ |
『公卿補任』延文五年、前權大納言 正二位「源宗明(三十二【ママ】)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』延文六年【一三六一】、前權大納言 從一位「源宗明(三十二)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』康安二年【一三六二】、前權大納言 從一位「源宗明(三十三)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』貞治二年【一三六三】、前權大納言 從一位「源宗明(四十四【ママ】)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』貞治三年【一三六四】、前權大納言 從一位「源宗明(三十五)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』貞治四年【一三六五】、前權大納言 從一位「源宗明(三十六)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』貞治五年【一三六六】、前權大納言 從一位「源宗明(三十七)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』貞治六年【一三六七】、前權大納言 從一位「源宗明(三十八)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』貞治七年【一三六八】、前權大納言 從一位「源宗明(三十九)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』應安二年【一三六九】、前權大納言 從一位「源宗明(四十)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』應安三年【一三七〇】、前權大納言 從一位「源宗明」尻付
|
◎ |
『公卿補任』應安四年【一三七一】、前權大納言 從一位「源宗明(四十一)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』應安五年【一三七二】、前權大納言 從一位「源宗明(四十二)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』應安六年【一三七三】、前權大納言 從一位「源宗明(四十三)」尻付
|
◎ |
『公卿補任』應安七年【一三七四】、前權大納言 從一位「源宗明」尻付
|
◎ |
『公卿補任』應安八年【一三七五】、前權大納言 從一位「源宗明」尻付
|
◎ |
『公卿補任』永和二年【一三七六】、前權大納言 從一位「源宗明」尻付
|
◎ |
『公卿補任』永和三年【一三七七】、前權大納言 從一位「源宗明」尻付
|
◎ |
『公卿補任』永和四年【一三七八】、前權大納言 從一位「源宗明」尻付
|
|
● |
永和五年/康暦元年(一三七九)歟、出家。
◎ |
『公卿補任』永和五年、前權大納言 從一位「▲源宗明」尻付
|
|
● |
明コ元年(一三九〇)四月二十五日に始まった、足利義滿が催した足利尊氏の三十三回忌御八講において、捧物を獻じた。
◎ |
伏見宮本『等持寺殿三十三回忌御八講五巻日捧物注文』
|
※ |
赤坂恒明「柳原宮考 ── 大覚寺統の土御門宮家 ──」(日本史史料研究会研究会報『ぶい&ぶい』(無為 無為)第二十七号、日本史史料研究会、二〇一四年五月)19頁 注(46)
|
|