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昭和十年(一九三五)十一月二十四日、誕生。
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『官報』第二六七〇號 昭和十年十一月二十六日 告示
○宮内省告示第二十四號
恒憲王妃敏子殿下本日午後八時七分兵庫縣
姫路市山野井二百八十番地賀陽宮御假寓所
ニ於テ御分娩王御誕生アラセラル
昭和十年十月二十四日
宮内大臣 湯淺 倉平
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宗憲王
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昭和十年(一九三五)十一月三十日、「宗憲(ムネノリ)」と命名される。
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『官報』第二六七五號 昭和十年十二月二日 告示
○宮内省告示第二十七號
本月二十四日誕生セラレタル恒憲王殿下ノ
第五男子名ヲ宗憲ト命セラル
昭和十年十一月三十日
宮内大臣 湯淺 倉平
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賀陽宗憲
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昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十三條の規定により、皇族の身分を離れる。
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『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示
○宮内府告示第十六号
恒憲王妃敏子、邦壽王、治憲王、章
憲王、文憲王、宗憲王、健憲王、邦昭
王、朝建王、朝宏王、朝子女王、通子
女王、英子女王、典子女王、守正王妃
伊都子、孚彦王、孚彦王妃千賀子、誠
彦王、冨久子女王、美乃子女王、稔彦
王妃聰子内親王、盛厚王、盛厚王妃成子
内親王、信彦王、文子女王、俊彦王、
恒コ王妃光子、恆正王、恆治王、素子
女王、紀子女王及び春仁王妃直子各殿
下は、皇室典範第十三條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
昭和二十二年十月十三日
宮内府長官 松平 慶民
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學習院大學卒業。
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味の素に就職。
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昭和三十九年(一九六四)五月三十一日、藤居和子と結婚。
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宮内廳書陵部公文書館所藏 44221『旧皇族各家戸籍謄本 宮務課』「御結婚年月日等」
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昭和六十一年(一九八六)、大日本居合道連盟の會長となる。
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食の文化センター事務局長。
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平成二十九年(二〇一七)十二月二十三日、逝去。
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