親繁王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[親繁]

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親繁王
 
【出自】
 
式明親王の二男。
 醍醐天皇の二世孫王。
 
【經歴】
天德五年(九六一)五月十日夜、強盗團の賊首として、中臣朝臣良材、源朝臣蕃基の男子らと共に、前武藏權守源朝臣滿仲宅に押し入る。滿仲に捕えられた從類の倉橋弘重の自白により、強盗團の賊首が親繁王であることが判明。親繁王は、從類と共に、父 式明親王の邸宅に入ったが、搜索の手が伸びるより前に脱出。親繁王は指名手配された。
『扶桑略記』天德五年五月十日壬申
夜、強盗入前武藏權守滿仲之宅。爰滿仲躬留類人倉橋弘重。弘重指申中務卿親王【式明親王】第二男、及宮内丞中臣良材、土佐權守蕃基男等所爲也。檢非違使左衞門志錦文明參内奏聞。中務卿親王家人申云。「件孫王今曉入親王家。其同類紀近輔、中臣良材等可有此家」。仍以事由告親王。親王令申云。「男親繁日來重煩痢病、在此家内、不堪起居。待平復時、可進者」。依宣旨、使官人等令搜求同類人親王家内。遂不捕獲。戊子【二十七日】同親王家捕獲紀近輔。申云。「親繁爲首入滿仲家實也。贓物可有彼親繁孫王之許」。勅云。「依不進男、忽科親王家。猶伺親繁之出外、可召捕者」。
『古事談』四「勇士」
 天德四年五月十日夜、強盗入武藏權守源朝臣滿仲宅。爰滿仲射留類人倉橋弘重。弘重指申中務卿親王【式明親王】第二男、及宮内丞中臣良村、土佐權守蕃基之男等所爲。檢非違使右衞門志錦文明參内奏聞。中務卿親王家人申云。「件孫王今晩入親王家。其同類紀近輔、中臣良村等在此家」。仍以事由告親王。親王令申云。「男親繁日來重煩痢病、在此家内、不堪起居。待平安時、可進者」。依宣旨、使官人等搜求同類輩親王家内。遂不捕獲。於成子内親王家内捕獲紀近輔。近輔申云。「親繁王爲首入滿仲家事實也。贓物悉可在彼親繁王許」云。勅云。「依不進男、忽科親王罪。猶伺親繁之出外、可召捕者」。
 
【文獻等】
『大日本史料』第一編之十、八八一~八八二頁、應和元年五月十日(壬申)「盗、前武藏權守源滿仲ノ第ニ入ル、尋デ、勅シテ、中務卿式明親王ノ王子親繁等ヲ捕ヘシメ給フ、」
奥富敬之『清和源氏の全家系1 天皇家と多田源氏』(新人物往来社、昭和六十三年(一九八八)九月)。再刊、奥富敬之『天皇家と多田源氏 摂関家の爪牙』(三一新書)(三一書房、一九九七年十二月)
日本史史料研究会 監修、赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流』(日本史史料研究会 監修。東京、吉川弘文館、二〇二〇年一月)


 
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公開日時: 2021.10.16.
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