親子内親王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
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親子内親王
 
【出自】
 
仁明天皇の女子。
 
【母】
 藤原朝臣貞子
 藤原朝臣三守の女子。
『一代要記』乙集、仁明天皇「皇女」
親子内親王(母同成康【藤原貞子】。無品。仁壽元年九月十八日薨)
 
【經歴】
承和四年(八三七)二月三十日、近江國野洲郡の公田ならびに荒廢田、二百八十五町を賜わる。
『續日本後紀』承和四年二月癸亥
近江國野洲郡公田并荒廢田二百八十五町、賜親子内親王。
承和十年(八四三)十一月十三日、丹波國氷上郡の空閑地、二十町を賜わる。
『續日本後紀』承和十年十一月丁酉
以丹波國氷上郡空閑地廿町、賜親子内親王。
承和十四年(八四七)四月十一日、初笄。
『續日本後紀』承和十四年四月乙巳
親子内親王初笄。宴親王已下侍從已上於内裏、非侍從及未得解由大夫皆預飮莚。宴訖賜被。
承和十五年(八四八)八月十六日、伯耆國會見郡における有智子内親王家の荒廢公田百二十町のうち、八十町を賜わる。
『續日本後紀』嘉祥元年八月壬寅
勅。伯耆國會見郡路下十一條荒廢公田百廿町、去天長七【十一】年賜有智子内親王家。宜割八十町、賜親子内親王。
仁壽元年(八五一)九月十八日、薨逝。
『日本文コ天皇實録』仁壽元年九月丁亥
無品親子内親王薨。親王者、仁明天皇之女。母、藤原氏。天皇、殊憐愛之。天皇崩後、哀慕無休、遂以滅性。時人悲之。
 
【逸事】
仁明天皇から特に憐愛を受ける。仁明天皇崩御後、哀慕し続けて遂に「性を滅」し、時の人はこれを悲しんだ。
『日本文コ天皇實録』仁壽元年九月丁亥
 
【文獻】
稿本仁明天皇實録』三三三〜三三四頁「皇女親子内親王」


 
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公開日時: 2021.12.03.
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