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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[章憲]

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章憲王 あきのり
 のち賀陽章憲 かや あきのり
 
【出自】
 
恒憲王[賀陽宮](のち賀陽恆憲)の三男。
 
【生母】
 敏子
 恒憲王妃
 のち賀陽敏子
 九條道實の五女。
 
【經歴】
昭和四年(一九二九)八月十七日、誕生。
『法令全書』昭和四年八月 告示「宮内省告示第三十二號(官報 八月二十日)
恒憲王妃殿下本日午前一時五十五分東京市
麴町區一番町二番地賀陽宮邸ニ於テ御分娩
王御誕生アラセラル
 昭和四年八月十七日
        宮内大臣 一木喜コカ
章憲王
昭和四年(一九二九)八月二十三日、「章憲(アキノリ)」と命名。
『法令全書』昭和四年八月 告示「宮内省告示第三十三號(官報 八月二十四日)
本月十七日誕生セラレタル恒憲王殿下ノ第
三男子名ヲ章憲アキノリト命セラル
 昭和四年八月二十三日
        宮内大臣 一木喜コカ
賀陽章憲
昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十三條の規定により、皇族の身分を離れる
『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示
○宮内府告示第十六号
 恒憲王妃敏子、邦壽王、治憲王、章
憲王、文憲王、宗憲王、健憲王、邦昭
王、朝建王、朝宏王、朝子女王、通子
女王、英子女王、典子女王、守正王妃
伊都子、孚彦王、孚彦王妃千賀子、誠
彦王、冨久子女王、美乃子女王、稔彦
王妃聰子内親王、盛厚王、盛厚王妃成子
内親王、信彦王、文子女王、俊彦王、
恒コ王妃光子、恆正王、恆治王、素子
女王、紀子女王及び春仁王妃直子各殿
下は、皇室典範第十三條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
 昭和二十二年十月十三日
     宮内府長官 松平 慶民
學習院大學卒業。
第一勧業銀行に就職する。
第一勧業銀行経営センター調査部長。
第一勧業銀行経営センター顧問となる。
平成六年(一九九四)十一月四日、心不全のため東京都多摩市の病院で死去。滿六十五歳。
 
【配偶】
 賀陽良子 かや よしこ
 山本榮藏の一女。賀陽章憲の妻。
 
【子女】
 賀陽章子 かや あきこ
 賀陽章憲の一女。
 賀陽正憲 かや まさのり
 賀陽章憲の一男。
 駐デンマーク王国日本大使館一等書記官
 
【文獻等】
平成新修 旧華族家系大成 上巻』 三一頁



 
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公開日時: 2011.11.29.
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