十世王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[十世]

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十世王
 
【出自】
 
仲野親王の十男。
 桓武天皇の二世孫王。
『公卿補任』寛平九年 參議 正四位下 十世王
桓武天皇御孫。贈太政大臣一品仲野親王十男。
 
【官位】
 參議從三位宮内卿
 
【經歴】
八三三年(天長十年)生。
『公卿補任』より逆算。
元慶八年(八八四)二月二十三日、從四位下に直敍される。五十二歳。
『日本三代實録』元慶八年二月廿三日甲寅
天皇【光孝天皇】即於太極殿。・・・・・ [授]无位十世王從四位下。
元慶九年(八八五)正月十六日、中務大輔となる。
『日本三代實録』仁和元年正月十六日壬申
以散位從四位下十世王爲中務大輔。
仁和三年(八八七)二月二日、加賀權守を兼任。
『日本三代實録』仁和三年二月二日丙午
從四位下行中務大輔十世王爲加賀權守。中務大輔如故。
仁和三年(八八七)四月七日、石C水奉幣使の基棟王が參向の途中、落馬して負傷、代わって十世王が奉幣使を勤仕した。
『日本三代實録』仁和三年四月七日庚戌
奉石C水八幡大菩薩宮幣使從三位行刑部卿基棟王、到東京四條、堕馬傷支體、不達~宮。更遣從四位下行中務大輔兼加賀權守十世王奉之。其幣物不改焉。
仁和四年(八八八)二月五日、意見六箇條を上奏。
『日本三代實録』仁和四年二月五日癸酉
中務大輔十世王上意見六箇條。
寛平二年(八九〇)正月七日、從四位上に昇敍。
『公卿補任』寛平九年 參議 正四位下 十世王
寛平三年(八九一)十二月六日、六十賀を賜わり、その席上で宮内卿に任じられる。五十九歳。
『西宮記』二十四「臨時十二 賜臣下賀」所引『宇多天皇御記』寛平三年十二月六日壬午
仰内藏寮、令儲中務大輔十世王六十賀之饗。御前賜座。侍臣勸膳。依次勸盃。欲行六十坏、至卅六巡、取醉差深。賜祿。即賜御坏。放盞之間、有勅任宮内卿。十世王不覺流涕。
『公卿補任』寛平九年 參議 正四位下 十世王
『大日本史料』第一編之一、八九六頁。
寛平五年(八九三)十一月二十二日、伊豫權守を兼任。
『公卿補任』寛平九年 參議 正四位下 十世王
寛平八年(八九六)正月七日、正四位下に敍される。
『公卿補任』寛平九年 參議 正四位下 十世王
寛平八年(八九六)正月十二日、越前權守を兼任。
『公卿補任』寛平九年 參議 正四位下 十世王
寛平九年(八九七)六月十九日、參議となる。宮内卿はもとの如し。六十四歳。
『公卿補任』寛平九年 參議 正四位下 十世王
寛平十年/昌泰元年(八九八)、備後權守を兼任。
『公卿補任』寛平十年 參議 正四位下 十世王
昌泰元年(八九八)五月十三日、伊勢臨時奉幣の使王を勤仕。六十六歳。
『祈雨記』所載『御記抄』所引『延喜御記』昌泰元年五月十三日辛巳
是日有伊勢御幣使。因小【令カ】差十世[王]。自晝雨降、入夜不休。
越前權守を兼任。
延喜十年(九一〇)正月七日、從三位に上階。七十八歳。
『公卿補任』延喜十年 參議 正四位下 十世王
延喜十三年(九一三)正月二十八日、播磨守を兼任。
『公卿補任』延喜十三年 參議 從三位 十世王
延喜十五年(九一五)七月二日薨。八十三歳。
『公卿補任』延喜十五年 參議 從三位 十世王
『日本紀略』に據ると、延喜十六年七月三日に薨逝。八十四歳。
『日本紀略』延喜十六年七月三日丙辰
參議從三位宮内卿十世王薨(年八十四)。
 
【子女】
時世王
時相王
時C王
コ姫女王 [宇多天皇の更衣]
元慶三年(八七九)十一月二十五日に從五位下に敍された時影王、元慶六年(八八二)五月十五日に伊勢臨時奉幣使王を勤仕した時景王は、十世王の男子である可能性があるか。
 
【文獻等】
稿本桓武天皇實録』四三六〜四三九頁「皇孫十世王」
日本史史料研究会監修、赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流』(吉川弘文館、二〇二〇年一月)


 
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公開日時: 2020.10.31.
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