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學習院初等科では、西園寺公一と同級であった。
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『西園寺公一回顧録「過ぎ去りし、昭和」』(アイペックプレス、一九九一年五月) 二一〜二三頁
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江田島の海軍兵學校では、上級の宣仁親王[高松宮]、同級の博信王(のち華頂博信)と交流した。
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『宣仁親王日記』大正十二年九月三十日日曜
十一時頃、甲三號【兵學校甲三號官舍】ノ二方【博信王・萩麿王】イラツシヤル。油繪ヲナサルトカデ油ヲオ見セシタ。此方モ一更【向】シラナイノデアルガ。
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宣仁親王[高松宮]は、海軍兵學校における萩麿王の友人のことを「ヨクナイ」「感心シナイ」と評したが、その後、良友の影響で「探偵小説を好讀」するようになっていた、という。
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『宣仁親王日記』大正十二年十月七日日曜、予記欄
博信王ハドウモ神經衰弱ノキミダ。ヤハリオ友達デモツクツテ快活ニオシムケスルコトガ肝要ダ。私モ少シ手傳フカト思ツタガ、ヨク考ヘテ見ルトソレハ私ノ主義ニ戻【もと】ツタ行爲ノヤウダ。萩麿王モオ友達ガヨクナイ。土山トカ原田トカヨクナイ人デモナイガ感心シナイ。
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『宣仁親王日記』大正十五年一月六日水曜
萩麿王樣、堀井【三千雄。海兵五四期生】とは親しくなさるゝ由結構なり。堀井は滿蒙に活躍したき望みあるらし。探偵小説など好むとはさもあらむ。萩麿王も仝じ探偵小説を好讀さるゝとは模倣の然らしむるためか。
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萩麿王は、江田島の海軍兵學校豫科・本科一學年の時に上級生であった宣仁親王[高松宮]を深く敬慕した。『伯爵鹿島萩麿』によると、「博文館發行の當用日記に當時丹念に日々の御行事御感想等を記註して居られた。中には高松宮御敬慕の御記事も少くはなかつたが、御日誌類は後年伯爵御自身にて全部燒却處分された」。『宣仁親王日記』によると、萩麿王の日記には、宣仁親王に對する同性愛的感情が吐露されており、宣仁親王のために「身をどうする」とまで記されていた。それを讀んだ宣仁親王[高松宮]は「萩麿王の人に交はれるにセックスの上に原因がありはしないか」云々と感想を抱いている。
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『伯爵鹿島萩麿』二九三〜二九四頁
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『宣仁親王日記』大正十五年一月七日木曜
10時昨日の約束で萩麿王御日記をもちて來られ、讀めとておいてゆかる。(明治神宮にお詣りの途中)。
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萩麿王の人に交はられ友と交はれるにセックスの上に原因がありはしないか。そうだとそれに偏しすぎるのは面白からず思ふ。私についても誤解が大でないかとも考へられる。なぜならば、私の人格を禮讚して、私のために身をどうするとまで書いておありになるのは如何かと思ふ。私もお力にはならうが、それは same level に於ての事なり。その他略す。
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『宣仁親王日記』大正十五年一月九日土曜
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『宣仁親王日記』大正十五年一月十二日火曜
「純な心持ち」と云ふものがあることに氣づいた、性慾の研究を始めようか。そしたら私の心もちも純なものになることが出來るかも知れない。そして清い(私の氣持ちが)友だちが出來るかもしれない。まだ、羞恥心はあるのだから。
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「純な心持ち」からそこに戀愛に近い感情のおこることも有り得るわ[け]だ。これは萩麿王のお日記をみつめて苦しむだ産物としては大きなものだつた。ほつと息をつく。何にせ萩麿王には、私を對象とせぬ樣云つてやらう。理屈もなにも云ふことはいらぬ。堀井に手紙できくこともゐらなくなつたわけだ、けれど私の不純な氣持から出して見たい樣な氣もする。
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『宣仁親王日記』大正十五年一月二十九日金曜
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海軍軍事研究に從事し、「おれの趣味は海軍である、海軍の外に趣味はない」としばしば語り、海軍に關する書籍に高額を投じ、「おれの友達は書籍だ、書籍があれば一日中唯一人で居ても退屈しない」と話していた、という。
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薨去の前月にあたる昭和七年(一九三二)七月、『ジャットランド海戰史論集』を脱稿した。
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