白川資訓


前頁 「 資 [資光]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[資訓]

フレームなし

工事中

資訓王 スケノリ
 
 白川家當主
 
 もと源朝臣資訓
 のち源朝臣資訓
   白川資訓 しらかは(しらかわ) すけのり [子爵]
 
【官位】
 ~祇伯
  ※ 最後の~祇伯王
 正三位
 
【幼名】
 「是方麿

 
【出自】
 資敬王の男子。
 
【母】
 家女房
 
【經歴】
天保十二年(一八四一)十一月十五日誕生。幼名「是方麿」。
源朝臣資訓
弘化二年(一八四五)十二月三日、從五位下に敍される。五歳。
葉室長順本『公家補略 弘化二年正月一日』從五位下
同上【十二三叙】 資敬王男 ノリ
少外記平田家記録 H206-12
嘉永二年(一八四九)三月二十九日、元服。昇殿を聽許され、從五位上に敍される。九歳。
『資訓元服一件留』(嘉永二己酉年三月、是方麿樣御元服一件留)
曾根研三『伯家記録考』二三五頁
少外記平田家記録 H206-16
資訓王
嘉永四年(一八五一)九月十四日、~祇伯に任じられる。十一歳。
※ 嘉永五年十月二十七日、拜賀。
少外記平田家記録 H206-18
嘉永四年(一八五一)九月十七日、服忌(父)。
葉室本『公家補略 嘉永四年正月一日』(1)
白川/九十四任(推任)同十七服解【ママ】(父) 源/資訓スケノリ神祇伯/十一)
嘉永四年(一八五一)十一月二十三日、除服、出仕、復任。
嘉永五年(一八五二)十月二十四日、正五位下に敍される。十二歳。
少外記平田家記録 H206-19
安政元年(一八五四)十二月十八日、侍從を兼任。十四歳。
安政二年(一八五五)二月十七日、從四位下に敍される。十五歳。
安政二年(一八五五)二月二十三日、伊勢一社奉幣使(攘夷祈願)の使王を勤仕。
『實麗卿記』安政二年二月廿三日丙辰
リ。今日一社奉幣發遣(近年異船度々渡來、去年内裏炎上、地震、諸國津浪等之依御願云々)也。上卿右大臣(忠)、參議右大辨宰相、辨胤保朝臣、奉幣使四姓(王資訓王、中臣ヘ忠卿、忌部能弘、卜部如例幣云々)、奉行光愛朝臣云々。宣命官符等續左。今日不參。
 天皇 ・・・・・ 王~祇伯從四位下兼行侍從資訓王、中臣正三位行~祇大副兼伊勢權守(【右】大中臣朝臣)ヘ忠等差遣、忌部從五位上齋部宿禰能弘弱肩 ・・・・・
  安政二年二月
太政官符(伊勢國)
 應預奉兩太~宮幣帛~寶等事
  使王~祇伯從四位下兼行侍從資訓王
中臣正三位行~祇大副兼伊勢權守大中臣朝臣ヘ忠
 右 右大臣宣奉勅爲奉
 兩 太~宮幣帛~寶等
 差件等人宛使發遣如件、國宜承知
 依宣行之。符到奉行。
             正四位上行右中辨藤原朝臣判
             修理東大寺大佛長官從四位上行中務權少輔兼主殿頭左大史小槻宿禰判
  安政二年二月二十三日
稿本孝明天皇實録』二九三〜二九四頁 安政二年二月二十三日「伊勢奉幣使發遣ノ儀ヲ行ハル、災變祈禳、國土御祈ノ爲ナリ、」
近世、伊勢使王は兵庫寮川越家等が使王代として勤仕していたが、國の重大事に際し、「王氏」が「正官」として使王となった。しかも、~祇伯の使王は、顯廣王(白川伯王家の実質上の祖)以來のことであった。
『孝明天皇紀』第二、三四六〜三五二頁
『平田職修日記』安政二年正月廿九日
『平田職修日記』安政二年二月廿三日
  (※宣命案あり)
『後勁槐記』安政二年正月十三日
『聰長卿記』安政二年正月廿九日
〔安政二年二月二十二日太政官符〕(『伯家記録考』五八八頁)
『實萬公記』安政二年二月二十三日
安政四年(一八五七)四月二十四日、服解、出仕(姉)。
※ 姉の祁子女王が四月三日に卒去。
葉室長邦本『公家補略 安政四年』従四位下
四廿四除服出仕五十五兼六廿三拜賀 資訓 (神祇伯/侍従(右少將)/十七)
安政四年(一八五七)五月十五日、右近衛權少將に任じられる(神祇伯はもとの如し)。十七歳。
※ 六月二十三日、拜賀。
葉室長邦本『公家補略 安政四年』従四位下
四廿四除服出仕五十五兼六廿三拜賀 資訓 (神祇伯/侍従(右少將)/十七)
安政五年(一八五八)二月二十二日、從四位上に敍される。十八歳。
葉室長邦本『公家補略 安政五年正月一日』従四位下
二廿二叙 資訓 (神祇伯/右少將/十八)
安政六年(一八五九)七月二十六日、惡疫流行のため、孝明天皇の命により、御所において鳴弦の法を行う。
稿本孝明天皇實録』五五八〜五五九頁 安政六年七月二十六日「惡疫祈禳ノ爲、~祇伯白川資訓ヲシテ、禁裏ニ於テ鳴弦ノ法ヲ行ハシメラル、」
萬延二年(一八六一)正月五日、正四位下に敍される。二十一歳。
葉室長邦本『公家補略 萬延二年正月一日』非参議 従四位上
正五叙 資訓 (神祇伯/右少將/二十一)
文久元年(一八六一)五月九日、伊勢臨時奉幣使の使王を勤仕。
『桑原家文書』所收「宣命草」(『孝明天皇紀』第三、五八三〜五八四頁)
王正四位下資訓王
『伊勢參向家記』(『伯家記録考』一二七頁)
『非藏人日記』文久元年五月九日丙申(『稿本孝明天皇實録』六四二頁)
伊勢公卿勅使發遣也。使廣幡大納言忠禮卿。王使~祇伯資訓王(今度依思食被添王使)、中臣藤波三位ヘ忠卿、奉行藏人頭辨長順朝臣、自餘到六位藏人參仕。・・・・・
稿本孝明天皇實録』六四〇〜六四三頁 文久元年五月九日「公卿勅使發遣ノ儀ヲ行ハル、是日ヨリ七箇日間、連夜、東庭ニ出御、御拜アラセラル、」
元治元年(一八六四)八月二十九日、右近衛權中將に轉任する(~祇伯は元の如し)。二十四歳。
※ 十月七日、拜賀。
元治元年(一八六四)十一月二十三日、從三位に敍される(神祇伯はもとの如し)。二十四歳。
『公卿補任』元治元年、非參議 從三位「王資訓(二十四)」
十一月廿三日叙(伯如元)。
故右權中將資敬王男。母家女房。
天保十二十一十五誕生。弘化二十二三叙從五位下(五歳)。嘉永二三廿九元服聽昇殿。同日叙從五位上(九歳)。同四八十四任~祇伯。同年九十九服解(父)。同年十一廿三除服出仕復任。同五十廿四叙正五位下(十二歳)。同月廿七拜賀。安政元十二十八兼侍從(十四歳)。同二二十七叙從四位下(十五歳)。同四五十五兼右近衛權少將(小除目。十七歳)。同年六廿三拜賀。同五二廿二叙從四位上(十八歳)。萬延二(爲文久元)正五叙正四位下(廿一歳)。元治元八廿九轉權中將(伯如元。廿四歳)。同年十七拜賀。
慶應元年(一八六五)十一月二十八日、直衣を聽許される(推免)。二十五歳。
※ 内侍所渡御勤仕賞。
葉室長邦本『公家補略 元治二年正月一日』非參議 従三位
十一廿八聽直衣(推免) 資訓 (神祇伯/二十五)
曾根研三「改訂伯家家譜」は慶應二年十一月二十三日に聽直衣と作す。
慶應三年(一八六七)十月二十日、奉戴~祇委任。二十七歳。
内侍所渡御勤仕賞。
慶應四年(一八六八)一月十七日(イ二月二十日)、參與に任じられ、~祇事務總督に任じられる。二十八歳。
慶應四年(一八六八)二月二十七日、議定に昇進し、~祇事務督に任じられる。
慶應四年(一八六八)三月二十日、正三位に昇敍。二十八歳。
慶應四年(一八六八)三月二十七日、~社執奏支配を停止させられる。
慶應四年(一八六八)閏四月二十一日、三職(總裁・議定・參與)が廢止となる。
源朝臣資訓
明治二年(一八六九)六月一日、官制改革により~祇伯職を失い、王號を停止。二十九歳。
明治二年(一八六九)七月八日、~祇大副に任じられる。
明治三年(一八七〇)十二月十日、東京府貫屬となり、家祿現米二百六十九石二斗を賜わる。
明治三年(一八七〇)十二月二十七日、~祇大副を免じられ、~祇官出仕を命じられる。三十歳。
白川資訓
明治十七年(一八八四)七月八日、子爵を授けられる。四十四歳。
明治三十三年(一九〇〇)十二月七日、從三位に敍される。六十歳。
明治三十九年(一九〇六)十二月七日、薨逝。六十六歳。
 
【子女】
源朝臣雅敬 のち源朝臣雅好
 實は資敬王の男子。資訓王の弟。
[源朝臣]幸子
 明治三年(一八七〇)六月六日歿。
白川資長 しらかは/しらかわ すけなが
 子爵
 もと「是方麿」、白川是方麿
 母は山内豐樹の女子、實は家女房。
 明治三年(一八七〇)十二月二十八日生。
 明治二十九年(一八九六)九月二十一日、從五位に敍される。
 明治三十九年(一九〇六)十月一日、正五位に敍される。
 明治三十九年(一九〇六)十二月二十四日、子爵を襲爵。
 昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族(子爵)の身位を喪失。
 昭和三十四年(一九五九)六月九日歿。
 上野正雄の四男 白川久雄を養子とするが、白川久雄は、昭和二十九年(一九五四)六月、離縁。
 白川資長の妻 白川リウが昭和四十四年(一九六九)十月三日に歿し、白川家は斷絶。
白川縫子 のち篠田縫子 きぬこ
 母は家女房。
 明治八年(一八七五)五月二十二日生。
 篠田宮之助の妻。
 昭和二十九年(一九五四)二月、歿。
 
【日記】
『資訓記』(『資訓王記』)二十九册 安政六年(一八五九)〜明治二十四年(一八九一
曾根研三『伯家記録考』二三三〜二三五頁
 
【逸事等】
平田篤胤の門下で、幕末の尊王攘夷運動家、勤王報国の精神を詠じた歌人、佐久良東雄(さくら あずまお)(文化八年(一八一一)三月二十一日、常陸国新治郡浦須村で土浦藩の郷士の子として出生。本名は飯島吉兵衞。常陸國眞鍋村(現 土浦市)善應寺住職。法名は良哉。還俗。大坂坐摩~社~官。通称「靱負」「靜馬」等。号「薑園」。櫻田門外の變に連座し、萬延元年(一八六〇)六月二十七日、傳馬町獄中で絶食死。歌集『薑園集』)は、資訓王より伯家~道を學んだ。
 
【文獻等】
『資訓元服一件留』(嘉永二己酉年三月、是方麿樣御元服一件留)
曾根研三『伯家記録考』二三五頁
曾根研三「改訂伯家家譜」(曾根研三『伯家記録考』附録)
曾根研三「増補訂正伯家系譜」(曾根研三『伯家記録考』附録)
平成新修 旧華族家系大成 上巻』 763頁
昭和新修 華族家系大成 上巻』 708頁


 
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更新日時: 2020.02.13.
公開日時: 2017.04.27.

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