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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[資高]

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資高王
 のち源朝臣資高
 
【稱號】
 「伯中將」
 
【出自】
 寛和御後
 
源朝臣顯英資英王の男子)の男子。
『尊卑分脈』「寛和 華山」顯英の子
  正四下【前田一本ナシ】
  中將【脇坂本・前田一本・内閣文庫本ナシ】
  左少【「少」脇坂本・内閣文庫本「中」】將【前田一本ナシ】
──資高
  母【脇坂本・前田一本・内閣文庫本ナシ】
 
【經歴】
資高王
永和五年(一三七九)正月六日、正月敍位において從五位下に敍される(王氏爵。寛和御後)。
『迎陽記』永和五年正月六日
源朝臣資高
應永二年(一三九五)正月七日、征夷大將軍源朝臣義滿の拜賀に殿上先駈として勤仕。
『實冬公記』應永二年正月七日
資高
應永二年(一三九五)二月六日、征夷大將軍源朝臣義滿の直衣始に殿上人として勤仕。
『實冬公記』應永二年二月六日
資高
應永二年(一三九五)四月十一日、相國寺八講に殿上人として勤仕。
『實冬公記』應永二年四月十一日
資高
從四位下に敍される。
應永十三年(一四〇六)四月二十五日、賀茂祭において近衞使を勤仕。
『教言卿記』應永十三年四月廿五日
一、近衞使ハ伯資高朝臣。
右中將に任じられる。
應永二十六年(一四一九)四月二十三日、賀茂祭において近衞使を勤仕。時に右中將。
『康富記』應永廿六年四月廿三日丁酉
【近衞使】右中將資高朝臣。
左中將となる。
『尊卑分脈』「寛和」顯英の子「資高」袖書
正四位下に敍される。
『尊卑分脈』「寛和」顯英の子「資高」袖書


 
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更新日時: 2012.01.12.
公開日時: 2005.03.29.


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