白川資延


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[資延]

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資延王 スケノブ
 
 白川家當主
 
 もと源朝臣資延
 いちじ源朝臣資延
 のち源朝臣資延
 
【官位】
 神祇伯
 正二位
 
【出自】
 
資顯王の男子。
 
【母】
 家女房。
 
【經歴】
明和七年(一七七〇)十一月十日生。
源朝臣資延
安永三年(一七七四)十二月三日、從五位下に敍される。五歳。
安永十年(一七八一)三月二十七日、元服。昇殿を聽許され、侍從に任じられ、從五位上に敍される。十二歳。
葉室本『公家補略 安永十年正月一日』従五位下
(三廿七元服任叙聽昇殿/四五任(侍從如元/推任)九廿五拜賀) 資顯王男 資延(神祇伯/侍從/十二)
資延王
天明元年(一七八一)四月五日、神祇伯に任じられる(推任。侍從はもとの如し)。十二歳。
※ 九月二十五日、拜賀。
源朝臣資延
天明二年(一七八二)三月六日、神祇伯を辭す(侍從はもとの如し)。十三歳。
天明四年(一七八四)十二月十九日、正五位下に敍される。十五歳。
※ 去正月十五日分。
資延王
天明四年(一七八四)十二月二十九日、神祇伯に還任(侍從はもとの如し)。十五歳。
※ 廿八日分。
『御用事御下知書拔』
曾根研三『伯家記録考』二一五頁
天明五年(一七八五)二月二十六日、服解、出仕、復任(父)。
天明五年(一七八五)八月十七日、小除目にて右近衞權少將に任じられる(神祇伯はもとの如し)。十六歳。
※ 天明六年十一月二十二日、拜賀。
天明七年(一七八七)正月五日、從四位下に敍される。十八歳。
天明八年(一七八八)正月一日、元日節會において右次將を勤仕する。
『禁裏執次詰所日記』天明八年正月一日甲子
・・・・・
一、表より散状出ル。
   元日節會
 公卿  ・・・・・
 ・・・・・
 左近府 橋本中將【實誠】     壬生少将【師基】     梅園少将【實光】
     中山少将【忠賴】     難波少将【宗功】
 右近府 櫛笥中將【隆久】     岩倉中將【家具】     松木少将【宗章】
     白川少將【資延】     阿野少将【公倫】
 ・・・・・
『均光卿記』天明八年正月一日甲子
・・・・・ 抑今夜節會、・・・・・ 次將、左、實誠【橋本】・師基【壬生】・實光【梅園】・忠賴【中山】・宗功【難波】等朝臣、右、家具【岩倉】、隆久【櫛笥】、宗章【松木】、資延【白川】、公倫【阿野】等朝臣。奉行中將基理朝臣【園】。
稿本光格天皇實録』四七二~四七四頁 天明八年正月一日「四方拜、雨ニ依リ、御座ヲ長階絶間ニ設ケテ御拜アラセラル、小朝拜、雨ニ依リ、延引セラル、元日節會ヲ行ハル、出御アラセラレズ、」
寛政二年(一七九〇)五月二日、服忌(母)。
寛政二年(一七九〇)六月二十三日、服解。出仕、復任。
寛政三年(一七九一)十二月十八日、從四位上に敍される。二十二歳。
※ 去正月廿八日分。
寛政五年(一七九三)十二月十九日、正四位下に敍される。二十四歳。
寛政八年(一七九六)十月五日、遊興に耽り家業懈怠とのことにより、差控に處される。
藤田覚『光格天皇 自身を後にし天下万民を先とし』(ミネルヴァ日本評伝選)京都、ミネルヴァ書房、二〇一八年七月、176頁
寛政九年(一七九七)二月十三日、左近衞權中將に轉任。
※ 三月二十四日、拜賀。
寛政九年(一七九七)八月二十八日、從三位に敍される。二十八歳。
寛政九年(一七九七)十一月十三日、伯家の内々の行事であったという鎭魂祭が、光格天皇の許を得て、資延王第において行われた。
『均光日次記』寛政九年十一月十三日
今日於伯【資延王】亭鎭魂祭之儀被行之。例年伯家雖修之、内々沙汰也。今度安倍家雅樂助季康朝臣恐失其傳再興。伯家(【傍注】資延卿)執奏申之間被許。
 伯資延卿祭主之。 次官延世□禰宜祝師平孟雅、祝師(神琴師)源家榮神官門生三善亮壽、神膳司小野久視、下毛野敦光、紀知昌神饌司淸原武眞、藤原久信、藤恭高、三善亮禮 神庫司源常盛、物忌源廣住、平勝安。
神部藤都平、源順行、藤正房、源伴貫、源乘詮。
神兒 源廣住女
  神人五人
樂所季康朝臣 維寧 忠職朝臣 忠勇 高美 季良
稿本光格天皇實録』九五一~九五二頁 寛政九年十一月十三日「神祇伯白川資延第ニ於テ鎭魂祭ノ儀ヲ行ハル、」
享和元年(一八〇一)十二月十八日、正三位に敍される。三十二歳。
文化三年(一八〇六)十二月十九日、直衣を聽許される。三十七歳。
文化七年(一八一〇)十二月二十一日、從二位に敍される。四十一歳。
内侍所渡御度々勤仕之賞
文化十四年(一八一七)五月十三日、仁孝天皇に御拜傳授。
『實久卿記』文化十四年五月十三日丙辰
晴。今日、主上【仁孝天皇】自伯二位(資)【資延王】御拜御傳受也。仍御神事被爲濟之後、參内、申慶賀。
稿本仁孝天皇實録』一五〇~一五二頁 文化十四年五月十三日「神祇伯資延王ヨリ御拜ノ御傳授アラセラル、」
源朝臣資延
文政二年(一八一九)五月七日、神祇伯を辭す。五十歳。
文政七年(一八二四)正月十二日、正二位に敍される。
多年勤勞賞
文政七年(一八二四)正月十三日、薨逝。五十五歳。
 
【子女】
「嚴麿」
 早世。
雅壽王
 實は源朝臣行通[梅溪]の二男。
[源朝臣]壽子
 早世。
[源朝臣]嘉子
 早世。
[源朝臣]富子
 文化六年(一八〇九)十一月六日歿。
雄子女王
 仁孝天皇即位式の褰帳女王
 藤原朝臣光有[竹屋]の室。
[源朝臣]里子
 文化六年(一八〇九)十月生。
[源朝臣]敦子
 文化七年(一八一〇)正月二十九日歿。
 「順心院春岸玉想大童女」
 ※ 資顯王の女子の敦子女王[光格天皇即位式の褰帳女王]とは別人。
 
【日記】
『資延王記』五十九册 天明五年(一七八五)~文政六年(一八二三
曾根研三『伯家記録考』二二七~二三二頁
 
【著述】
寛文六年『觸穢中日次』
曾根研三『伯家記録考』二一六頁
文政四年『觸穢中日次』
曾根研三『伯家記録考』二一六~二一七頁
『資延王諸雜記』
曾根研三『伯家記録考』二三二~二三三頁
 
【文獻等】
曾根研三「改訂伯家家譜」(曾根研三『伯家記録考』附録)
曾根研三「増補訂正伯家系譜」(曾根研三『伯家記録考』附録)


 
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更新日時: 2020.04.05.
公開日時: 2017.04.10.

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