興範王, 源興範


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[興範]

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興範王
 
 のち源朝臣興範
 
【出自】
 
人康親王の男子。
 仁明天皇二世。
少外記平田家本『本朝皇胤紹運録』 人康親王の子
攝津守 従四上
├─興 範

『尊卑分脈』
 
【經歴】
興範王
貞觀十九年(八七七)正月三日、陽成天皇即位敍位において、二世孫王として無位から從四位下に直敍される。
『日本三代實録』元慶元年正月三日乙亥
[授]參議右大弁從四位上行近江權守源朝臣舒、前播磨守從四位下忠貞王並正四位下。從四位下行美作守四友王從四位上。无位興範王從四位下。高尚王正五位下。
丹後權守となる。
源朝臣興範
元慶六年(八八二)七月一日、源朝臣を賜姓される。時に從四位下行丹波權守。
『日本三代實録』元慶六年七月辛丑朔
從四位下行丹波權守興範王、散位從四位下興扶王、並賜姓源朝臣。仁明天皇之後。人康親王之子也。
元慶八年(八八四)十一月二十五日、光孝天皇大嘗會敍位において、從四位下から從四位上に昇敍。時に丹波權守。
『日本三代實録』元慶八年十一月廿五日壬午(『類聚國史』一〇一)
授无位直實王【『類聚國史』作「眞實王」】從四位下。從四位上行左近衛權中將兼備前守源朝臣興基正四位下。從四位下行丹波權守源朝臣興範、伊勢守藤原朝臣興世、无位源朝臣舊鑑、源朝臣是貞並從四位上。
仁和二年(八八六)二月二十一日、丹波權守に再任される。
『日本三代實録』仁和二年二月廿一日辛未
[以]散位從四位上源朝臣興範爲丹波權守。
攝津守となる。
少外記平田家本『本朝皇胤紹運録』
『尊卑分脈』
 
【文獻等】
稿本仁明天皇實録』三六八頁「皇孫興範王」


 
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公開日時:2023.03.30.

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