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昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇族の身分を離れる。
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『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示 「宮内府告示第十六号」
恒憲王妃敏子、邦壽王、治憲王、章
憲王、文憲王、宗憲王、健憲王、邦昭
王、朝建王、朝宏王、朝子女王、通子
女王、英子女王、典子女王、守正王妃
伊都子、孚彦王、孚彦王妃千賀子、誠
彦王、冨久子女王、美乃子女王、稔彦
王妃聰子内親王、盛厚王、盛厚王妃成子
内親王、信彦王、文子女王、俊彦王、
恒コ王妃光子、恆正王、恆治王、素子
女王、紀子女王及び春仁王妃直子各殿
下は、皇室典範第十三條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
昭和二十二年十月十三日
宮内府長官 松平 慶民
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昭和四十二年(一九六七)三月、慶應義塾大學法學部政治學科を卒業。
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昭和四十二年(一九六七)四月、伊藤忠商事株式会社に入社。
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竹田恒徳『菊と星と五輪』一九三〜一九四頁
次男恒治は大学【慶應義塾大學】を出ると伊藤忠に入り、長男【恆正】と共に商社マンになったわけだが、彼【恆治】の方は南米のチリーに二年ほど勤務し、大地震に遭遇していろいろな体験をしたが、一昨年【一九七五】からカリフォルニア大学の大学院に会社から派遣された。
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昭和五十一年(一九七六)五月、カリフォルニア大學バークレー校經營大學院修士課程(MBA)を修了。
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平成四年(一九九二)十月、伊藤忠インターナショナル会社(米国伊藤忠会社)シニアバイスプレジデント、ワシントン事務所長となる。
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平成十二年(二〇〇〇)四月、伊藤忠マネジメントコンサルティング株式会社の代表取締役社長となる。
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平成十三年(二〇〇一)七月、伊藤忠商事株式会社の大洋州総支配人となり、伊藤忠豪州会社社長および伊藤忠ニュージーランド会社社長を兼ねる。
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平成十五年(二〇〇三)六月、伊藤忠商事株式会社執行委員となる(關西擔當役員)。
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平成十七年(二〇〇五)六月、伊藤忠商事株式会社執行委員を退任し、同社顧問となる。
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平成十七年(二〇〇五)六月、中央設備エンジニアリング株式会社の代表取締役社長となる。
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平成十九年(二〇〇七)六月、中央設備エンジニアリング株式会社代表取締役社長を退任。
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平成十九年(二〇〇七)八月七日、在ブルガリア共和國日本國特命全權大使となる。
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『官報』第4648號 平成19年8月16日 人事異動 外務省
特命全権大使
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同 竹田 恆治
ブルガリア国駐箚を命ずる
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・・・・・(以上八月七日)
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平成十九年(二〇〇七)九月、駐ブルガリア日本大使に着任。
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平成十九年(二〇〇七)十月二十五日、ブルガリア共和國パルヴァノフ大統領に信任状を奉呈。
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平成二十一年(二〇一〇)、駐ブルガリア日本大使より退任。
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