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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[元長@]
 
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元長王
 のち源朝臣元長
 
【出自】
 
時康親王(のち光孝天皇)の男子。
 仁明天皇二世王(のち承和二世源氏)
時康親王の一男と推定される。
『尊卑分脈』仁和、光孝天皇の子
第一源氏云々
下野權守從四上
元長 天皇踐祚以前卒(元慶七年)

『光孝天皇實録』一五七頁の〔按〕に、「光孝天皇皇親ノ排行審カナラズ、今元長王已下、三代實録貞觀十二年二月十四日ノ條、竝ニ元慶八年六月二日ノ條ノ子女ノ順位ヲ基トシテ之ヲ排列セリ」とある。
 
【母】
 班子女王
『一代要記』丙集「第五十八代光孝天皇」皇子「元長」
從四位上。下野權守。母皇太后班子女王、二品式部卿仲野親王女。帝即位以前薨【ママ】。
 
【經歴】
元長王
貞觀五年(八六三)正月七日、無位より從四位下に敍される。
『日本三代實録』貞觀五年正月七日庚午
[授]无位元長王從四位下。
源朝臣元長
貞觀十二年(八七〇)二月十四日、承和二世源氏として源朝臣を賜姓される。時に散位從四位下。
『日本三代實録』貞觀十二年二月十四日丙申
散位從四位下元長王、侍從從四位下兼善王、无位名實王・篤行王・最善王・近善王・音恒王・是恒王・舊鑒王・貞恒王・成蔭王・C實王・是忠王・是貞王十四人、賜姓源朝臣。先是、二品中務卿兼大宰帥諱【時康】(光孝天皇)親王抗表曰。・・・・・
『日本紀略』貞觀十二年二月十四日丙申
先是、二品中務卿兼太宰帥諱(光孝天皇)親王抗表曰。云々。苟爲弘仁朝庭之苗緒、願同編源氏末、成親親之厚、云々。勅答。依後表、散位從四下元長王等十四人、賜姓源朝臣。
『皇代記』「光孝天皇」賜姓
源元長(從四上) 近善(從三位) 兼善(從四上、侍從) 名實 舊鑒(左京大夫、正四下、大藏卿) 篤行 最善 音恒 是恒(從四上) 貞恒(大納言、正三位) 成蔭 C實(賜姓滋水朝臣)
 已上十二人、貞觀十二年二月賜姓
貞觀十二年(八七〇)十二月二十九日、次侍從となる。時に從四位下。
『日本三代實録』貞觀十二年十二月廿九日丙午
以從四位上棟貞王、從五位上連扶王、從四位上源朝臣覺、從四位下源元長、從五位上藤原朝臣興世・橘朝臣春成・家原宿禰氏主・高向朝臣公輔・藤原朝臣積善、從五位下春道宿禰永藏・興道宿禰名繼・藤原朝臣宗枝・巨勢朝臣文雄・平朝臣季式・多治眞人藤善・藤原朝臣門宗・藤原朝臣遠經・橘朝臣廣相・高階眞人令範等、並爲次侍從。
下野權守に任じられる。
從四位上に敍される。
元慶八年(八八四)二月四日以前に卒去。
『一代要記』丙集「第五十八代光孝天皇」皇子
『尊卑分脈』仁和、光孝天皇の子「元長」
『帝王編年記』十四「第五十八代光孝天皇」皇子賜姓
源朝臣元長(未即帝位前卒。從四位上)・・・・・
 
【文獻等】
C水正健『皇族考證』第參巻、百三頁・百十一頁・百十四頁・百十五頁
『光孝天皇實録』一五七頁〜一五八頁「皇子元長王」


 
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公開日時: 2008.08.11.

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