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慶長十四年(一六〇九)九月六日、從六位下に敍される。
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慶長十四年(一六〇九)九月十六日、伊勢一社奉幣(兩宮御遷宮)の使王として宣命に見える。
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『地下家傳』四「兵庫寮」一八〇頁。
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『壬生家四巻之日記』四、慶長十四年九月十六日(甲午)
晴。兩太~宮發遣奉幣(先於陣被定日時、被奏宣命)。
内宮上卿中御門中納言(資胤卿)、奉行職事右中辨宣衡、行事辨藏人左少辨共房。
外宮上卿權大納言(實u卿。西園寺)、奉行職事・行事辨等同上。
陣儀以後、上卿以下參向~祇官代(以吉田〓【宀取】上所爲~祇官代。天正以前、以内野爲~祇官代。然而内野之地、被構大樹之御敷地之故、今度有沙汰、以吉田被擬~祇官代。内野地者、大宮大炊御門郁芳門南。~祇官舊跡歟)。
宣命依大内記闕、文章博士爲經卿(五條)作進之。
天皇我詔旨止掛畏岐伊勢乃度會乃五十鈴乃河上乃下都磐根爾大宮柱廣敷立氐高天原爾千木高知氐稱辭定奉留天照坐皇太~乃廣前爾恐美恐美毛申賜者久止申久。恭【忝】天之日嗣乎傳給志與利以降、戰兢之愼不淺、以庸菲氐久久詢萬機古止皇太~乃廣御惠美厚御助計奈利。維時造替之新宮嚴備志氐遷座之化儀存禮典須止奈牟。依氐幣使乎令發遣免吉日良辰擇定氐王從六位下兼任王、中臣~祇權少副正六位上大中臣朝臣種忠乎差使氐忌部從六位下齋部宿禰親當加弱肩爾太繦取懸氐禮代乃大幣乎令捧持氐奉出賜布。掛畏岐皇太~、此状乎平久安久聞食氐天皇朝廷乎寶位無動久常磐堅磐爾夜守日守爾護幸給比氐聖猷貞良爾武運延長爾護恤給倍度恐美恐美毛申賜者久止申。
慶長十四年九月十六日
天皇我詔旨止掛畏岐伊勢乃度會乃山田原乃下津磐根爾宮柱廣敷立氐高天原爾千木高知氐稱辭定奉留豐受皇太~乃廣前爾恐美恐美毛申賜者久止申久。忝承~璽志與利以來、寶筭u安全奈留事者偏是皇太~乃冥助奈利。維時造替之新宮嚴備志氐遷座之化儀存舊式須度奈牟。依氐幣使乎令發遣免吉日良辰乎擇定氐王從六位下兼任王、中臣~祇權少副正六位上大中臣朝臣種忠乎差使氐忌部從六位下齋部宿禰親當加弱肩爾太繦取懸氐禮代乃大幣乎令捧持氐奉出賜布。掛畏岐皇太~、此状乎平久安久聞食氐天皇朝廷乎寶位無動久常磐堅磐爾夜守日守爾護幸給比氐天下昇平爾海内靜謐爾恤美加護給倍度恐美恐美毛申賜者久止申。
慶長十四年九月十六日
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『御湯とのゝ上の日記』慶長十四年九月十六日
はるゝ。一しやのほうへいのぢんのぎあり。・・・・・ 一しやのほうへい、むかしはぢんぎくわんにてとりおこなわれ候へども、いまはそのところなきにより、よし田にておこなはれ候へのよし、しやうぐん【將軍】よりでんそう【傳奏】へ申され候て、すなはちよし田にておこなはるゝ。・・・・・
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慶長十六年(一六一一)四月五日、御即位由奉幣の使王。
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『弘誓院記』慶長十六年四月五日乙亥
御即位由奉幣發遣陣宣下。上卿右大將實u卿【西園寺】。奉行職事頭中將基任朝臣。參仕辨左中辨孝房。大内記長維。大外記師生。右大史孝亮。六位外記小槻定昭。同史三善英芳。少内記安倍盛勝。陣以後上卿以下參向~祇官代(被構吉田最【宀取】上所)。御拝伯顯成【白川】勤仕之。
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宣命
天皇我詔旨良萬止掛畏支伊勢乃度會乃五十鈴乃河上乃下津磐根爾大宮柱廣敷立弖高天原爾千木高知弖稱辭定奉留天照座皇太~乃廣前爾恐美恐美毛申賜者久止申久。去月廿七日爾忝以〓【耳少】身天之日嗣乎傳賜風留爾依弖、以今月十二日可即位由乎被告申留。依之吉日良辰乎擇定氐王從六位下兼任王、中臣~祇權少副正六位上大中臣朝臣種忠等乎差使氐忌部從六位下齊部【齋部】宿禰親當加弱肩爾太繦取懸弖禮代乃太幣帛乎令捧持氐奉出賜布。掛畏岐皇太~、此状乎平久安久聞食弖天皇朝廷乎寶位無動久常磐堅磐爾夜守日守爾護幸給比氐天下昇平爾海内靜謐爾護恤賜倍度恐美恐美毛申賜者久止申。
慶長十六年四月五日
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『御讓位古今宣命』(『列聖全集』「詔勅集」下巻所收)
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