前頁 「 兼 [兼親B]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[兼仁@]

フレームなし


兼仁
 源朝臣兼仁
 
【出自】
 
本康親王の男子。
 仁明天皇二世。
『尊卑分脈』「承和 仁明」、本康親王の子
因幡介從四下【「下」脇坂本作「上」
├ 兼仁
母 【「母」脇坂本・前田本・内閣文庫本ナシ
類從本『本朝皇胤紹運録』、本康親王の子
源兼仁 從四上因幡守
『本朝尊卑分脈圖脱漏』、本康親王の子
源兼仁 因幡介/從四上
類從本・吹上本『本朝皇胤紹運録』、吹上本『帝皇系圖』には見えるが、山田本・楓山本・岩倉本・刻本『本朝皇胤紹運録』、前田本『帝王系圖』には見えず。
史籍集覽本『一代要記』には見えず。
 
【經歴】
從四位下に敍される。
『尊卑分脈』「承和 仁明
源朝臣を賜姓される。
兼仁の初敍が從四位下であれば、二世孫王として無位から從四位下に敍された後に源朝臣を賜姓された、と推定される。兼仁の賜姓が初敍以前であれば、二世源氏として蔭位によって從五位下に直敍されたか、または、大學寮から出身して六位に敍された、と推定され、その後、從四位下に昇敍したと考えられる。
稿本仁明天皇實録』 三八八頁「皇孫兼似」〔按〕に、
皇孫兼似已下本康親王ノ諸王子、其誕生卒年等凡テ明カナラズ、賜姓ノ事又明カナラネドモ、其系譜ニ王字ヲ書セズイヅレモ源氏ヲ附スレバ、イヅレノ時カ賜姓ノ事アリシハ察スベシ、位階職名ノ記載アルモ賜姓前ナルヤ否ヤ明カナラネバ今凡テ之ヲ除ケリ、
とある。
因幡介または因幡守に任じられる。
『尊卑分脈』「承和 仁明
類從本『本朝皇胤紹運録』
『本朝尊卑分脈圖脱漏』
脇坂本『尊卑分脈』、類從本『本朝皇胤紹運録』、『本朝尊卑分脈圖脱漏』によると、從四位上に敍される。
 
【備考】
清水正健『皇族世表』には載せられていない。
 
【文獻等】
稿本仁明天皇實録』 三八九頁「皇孫兼仁」
清水正健『皇族考證』第參巻、一九〜二一頁


 
次頁 「 兼 [兼仁A]
『 親王 ・ 諸王略傳 』 目次 「 け 」  『 親王 ・ 諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


更新日時: 2011.03.08.
公開日時: 2006.05.27.


Copyright: Ahmadjan 2006.5 - All rights reserved.