広井女王
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『日本三代實録』貞觀元年十月廿三日乙巳 | |
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『尊卑分脈』高階真人、「長親王」の子「栗栖王」の子「長田王」の子孫
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『尊卑分脈』が長田王を栗栖王の子と作すのは誤り。 |
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七八〇年(寳龜十一年)より若干以前に誕生。
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天長八年(八三一)、從五位下に敍され、尚膳に任じられる。
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嘉祥三年(八五〇)七月二十六日、從四位上に敍される。
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嘉祥三年(八五〇)、權典侍に任じられる。
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仁壽四年(八五四)正月八日、從三位に敍される。
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天安元年(八五七)十二月一日、典侍から尚侍に昇任。
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貞觀元年(八五九)十月二十三日、薨逝。時に尚侍從三位。八十餘歳。
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歌唱に堪能で、特に催馬樂(さいばら)歌(雅樂の歌物(うたいもの)である催馬樂の原初的な歌謡と推定される)の名人であり、多くの好事者たちが廣井女王から催馬樂を習った。
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廣井女王は和琴を嵯峨天皇から學び、仁明天皇と左大臣源朝臣信にヘえた。
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嘉祥元年八月に創建された安祥寺に、佛像(地蔵菩薩像)、聖ヘ(金字法花經、本願藥師經、隨願藥師經)、荘嚴供養具を施入した。時に侍從從三位。
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志香須賀本『古今和歌集』第十六「哀傷」
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『群書類從』一六(和歌部)卷第二百八十五『古今和歌集目録』
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佐藤忠彦「催馬楽の成立をめぐって 広井女王について一・二のこと」『国語国文研究』一八・一九号、北海道大学国語国文学会、1961年3月 |
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永池健二「広井女王「催馬楽歌」存疑 催馬楽歌考序説(一) 」日本歌謡学会編『日本歌謡研究 現在と展望 日本歌謡学会創立三十周年記念論文集』(研究叢書147)和泉書院、一九九四年三月、一四三〜一六〇頁 |
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藤原茂樹「和琴と催馬楽と ―御遊における源藤氏流および広井女王―」『藝文研究』九十五号、慶應義塾大学藝文学会 、二〇〇八年十二月、22〜47頁 |
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佐藤浩司「雅楽の楽しみ方 ―特に謡物の催馬楽について」(第56回 平成19年12月8日)『天理大学公開講座』第5号 2007年度/2007年度、天理大学広報委員会、二〇一〇年三月、9〜11頁 https://www.tenri-u.ac.jp/lifelng/q3tncs00001fu1ov-att/q3tncs00001fu1s5.pdf |
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上原真人編『皇太后の山寺 山科安祥寺の創建と古代山林寺院』京都、柳原出版、二〇〇七年三月 |
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