近善王 / 源近善


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[近善]

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近善王
 
 のち源朝臣近善
 
【出自】
 
時康親王仁明天皇の男子。のちの光孝天皇)の男子。
 仁明天皇の二世王(のち承和二世源氏、そののち仁和一世源氏[左京一條])
 
【經歴】
近善王
源朝臣近善(承和二世源氏)
貞觀十二年(八七〇)二月十四日、承和二世源氏として源朝臣を賜姓される。時に無位。
『日本三代實録』貞觀十二年二月十四日丙申
散位從四位下元長王、侍從從四位下兼善王、无位名實王・篤行王・最善王・近善王・音恒王・是恒王・舊鑒王・貞恒王・成蔭王・C實王・是忠王・是貞王十四人、賜姓源朝臣。先是、二品中務卿兼大宰帥諱【時康】(光孝天皇)親王抗表曰。・・・・・
『皇代記』「光孝天皇」賜姓
源元長(從四上) 近善(從三位) 兼善(從四上、侍從) 名實 舊鑒(左京大夫、正四下、大藏卿) 篤行 最善 音恒 是恒(從四上) 貞恒(大納言、正三位) 成蔭 C實(賜姓滋水朝臣)
 已上十二人、貞觀十二年二月賜姓
『帝王編年記』十四「第五十八代光孝天皇」皇子賜姓
源朝臣元長 ・・・・・ 近善(從三位、治部卿)・・・・・
正六位上に敍される。
大學寮から出身したと推定される。
元慶元年(八七七)十一月二十一日、正六位上から從五位下に敍される。
『類聚國史』巻第九十九「職官部」六「敍位」六、元慶元年十一月廿一日戊午
授 ・・・・・ 正六位上源朝臣近喜【ママ】・・・・・ 等、並從五位下。
源朝臣近善(仁和一世源氏)
元慶八年(八八四)四月十三日、父(時康)の即位により、承和二世源氏を改め仁和一世源氏として源朝臣を賜姓され、左京一條に戸籍が編成され、仁和一世源氏の戸主となる。
『日本三代實録』元慶八年六月二日辛卯
從四位上【正四位下】源朝臣是忠、无位源朝臣是貞、源朝臣國紀、源朝臣諱(ヽヽ天皇)、源朝臣香泉、源朝臣友貞、源朝臣遲子、源朝臣緩子、源朝臣麗子、源朝臣奇子、從三位源朝臣忠子、從四位下源朝臣簡子、无位源朝臣崇子、源朝臣連子、源朝臣綏子、源朝臣礼子、源朝臣最子、源朝臣偕子、源朝臣黙子、源朝臣是子、源朝臣並子、源朝臣爲子、源朝臣深子、源朝臣周子、源朝臣密子、並是天皇【光孝】々子。男女廿九人、依去四月十三日 勅書、賜姓隷左京一條、以近善爲戸頭。无位源朝臣舊鑒、源朝臣是貞、源朝臣國紀、源朝臣諱、源朝臣香泉、源朝臣友貞、從四位下源朝臣簡子、无位源朝臣遲子、源朝臣麗子、源朝臣奇子、源朝臣緩子、源朝臣崇子、源朝臣連子、源朝臣礼子、源朝臣綏子、源朝臣最子、源朝臣黙子、源朝臣是子、源朝臣並子、源朝臣謙子、源朝臣爲子、源朝臣偕子、源朝臣深子、源朝臣周子、源朝臣密子、廿五人、預時服月俸。僧空性、亦是皇子、同預時服月俸。並頒下所司訖。
元慶八年(八八四)五月二十九日、從五位下から從四位上に敍される。時に信濃權守。
『日本三代實録』元慶八年五月廿九日戊子
授左衞門佐從五位上源朝臣是忠正四位下、信濃権守從五位下源朝臣近善、散位從五位下源朝臣貞恒、並從四位上、從四位下源朝臣忠子從三位。並是今上皇子也。
仁和三年(八八七)五月十三日、越前權守に任じられる。
『日本三代實録』仁和三年五月十三日丙戌
以 ・・・・・ 散位從四位上源朝臣近善爲越前權守。
從三位に敍される。
『公卿補任』には不見。
延喜十八年(九一八)七月十四日、薨逝。
『日本紀略』延喜十八年七月十四日乙酉
從三位治部卿源近善薨。
『一代要記』丙集「第五十八代光孝天皇」皇子
近善(從三位、治部卿、延喜十八年七月十四日薨)
 
【子女】
 源朝臣師尚
 刑部大輔に任じられる。
 從五位上に敍される。
 源朝臣宗海
 主殿頭に任じられる。
 從五位上に敍される。
『尊卑分脈』仁和、光孝天皇の子「近善」




  刑部大甫 從五上
師尚


治部卿從三位
近善 ───

│   主殿頭 從五上
宗海 ─────
 
 
【文獻等】
C水正健『皇族考證』第參巻、百三頁・百十一頁・百十四頁・百十五頁
『光孝天皇實録』一六七頁〜一六八頁「皇子近善王」


 
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更新日時: 2021.03.20.
公開日時: 2008.08.22.


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