岡田王 / 蜷淵岡田


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[岡田B]

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岡田王
 
 のち蜷淵眞人岡田
 
【出自】
 
殖栗王用明天皇の男子)の後裔。
 左京人
 四世王以下。
『新撰姓氏録抄』左京皇別「蜷淵眞人」
出自諡用明皇子殖栗王也。
 
【經歴】
岡田王
正六位上に敍される。
延暦六年(七八七)正月七日、正六位上より從五位下に敍される。
『續日本紀』延暦六年正月壬辰
[授]无位矢庭王、大庭王、正六位上岡田王並從五位下。
延暦七年(七八八)三月二十一日、主殿頭となる。
『續日本紀』延暦七年三月己巳
從五位下岡田王爲主殿頭。
延暦十年(七九一)正月二十二日、備中守となる。
『續日本紀』延暦十年正月癸未
從五位下岡田王爲備中守。
蜷淵眞人岡田
延暦十年(七九一)正月二十二日から延暦十六年(七九七)正月七日までの間に、蜷淵眞人を賜姓される。
殖栗王の兄弟 來目王の後裔である藤津王等が延暦十年(七九一)七月二十日に登美眞人を賜姓されたのと同時期に賜姓されたか。
延暦十六年(七九七)正月七日、從五位下から從五位上に昇敍。
『日本後紀』延暦十六年正月甲午
[從五位下藤原朝臣]仲成、藤原朝臣今川、蜷淵眞人岡田、和朝臣入鹿麻呂[授]從五位上。
 
【後裔】
本康親王室「蜷淵氏」は、蜷淵眞人岡田の後裔か。
 
【備考】
佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考證篇 第一(吉川弘文館、昭和五十六年(一九八一)十二月) 二一八頁
 蜷淵真人  蜷淵の氏名は、『日本書紀』用明天皇二年四月丙午条にみえる南淵(奈良県高市郡明日香村稲淵)の地名にもとづく。
 蜷淵真人の賜姓についての史料はないが、その一族には、蜷淵真人岡田(『日本後紀』延暦十六年正月甲午条)がいる。
 
【文獻等】



 
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更新日時: 2022.01.20.
公開日時: 2022.01.18.

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