岡宮 恒子女王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[岡A]

フレームなし

工事中

岡宮 をかのみや
 
恒子女王 ひさこ
 のち二條恒子 にでう(ニジョウ)ひさこ
 
【法號】
 「C岡院
 
【出自】
 邦家親王[伏見宮(二〇)(二三)]の一女。
 はじめ、貞敬親王の實子と公示、邦家親王の養子となる。
 
【生母】
 上野壽野
 家女房
 
【經歴】
文政九年(一八二六)正月二十日生。
祖父 貞敬親王の實子となる。
幼稱が「岡宮」(をかのみや)と定められる。
文政十三年(一八三〇)十一月十九日、喰初、色直、髪置。
『伏見宮日記』文政十三年十一月十九日
天保四年(一八三三)十一月七日、深曾木。
『伏見宮日記』天保二年十一月七日
天保九年(一八三八)十二月十九日、鐵漿始、紐直。
『伏見宮日記』天保九年十二月十九日
明治元年(一八六八)十一月七日、本系邦家親王一女に復し、藤原朝臣齊敬[二條]に入輿。四十三歳。
『伏見宮日記』明治元年十一月七日
『伏見宮日記』明治元年十一月八日
明治十一年(一八七八)十二月五日、夫 二條齊敬が死去したため、明治十一年(一八七八)十二月八日、落飾、「C岡院」と號す。五十三歳。
『伏見宮日記』明治十一年十二月六日
『伏見宮日記』明治十一年十二月九日
大正五年(一九一六)九月十九日、死去。九十一歳。
『伏見宮日記』大正五年九月十八日
『伏見宮日記』大正五年九月二十日
大正五年(一九一六)九月二十日、發喪。
『伏見宮日記』大正五年九月二十日
大正五年(一九一六)九月二十一日、入棺。
『伏見宮日記』大正五年九月二十一日
大正五年(一九一六)九月二十四日、葬送。
『伏見宮日記』大正五年九月二十四日
 
【墓所】
 京都の嵯峨二尊院の二條家墓地
 
工事中 【配偶】
 二條齊敬
 
工事中 【文獻等】

『系圖綜覽』所收『皇室系譜』「伏見宮」九五頁
平成新修 旧華族家系大成 下巻』三一九頁
『詰所系圖』「伏見殿」に不見。


 
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公開日時: 2013.05.31.
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