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家女房 光子 |
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寛政十年(一七九八)七月二十日亥刻、有栖川宮邸にて誕生。 |
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寛政十年(一七九八)七月二十七日、父より幼稱を「嘉寧宮」と賜わる。 |
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寛政十一年(一七九九)三月二十六日、髪置。 |
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文化元年(一八〇四)三月二十七日、色直。 |
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文化四年(一八〇七)三月二十七日、深曾木。 |
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文化七年(一八一〇)三月二十八日、紐直。 |
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文化七年(一八一〇)十二月十七日、鐵漿始。 |
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文化八年(一八一一)七月十九日、名を「苞子」と治定。 |
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文化十年(一八一三)六月十六日、「御月見の儀」あり。 |
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文政元年(一八一八)末より發病。 |
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文政二年(一八一九)九月四日、新築の父親王の隱居邸(土手町)に、父と共に移る。 |
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文政二年(一八一九)十月五日子刻、死亡。 |
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文政二年(一八一九)十月六日、重病の態で家臣前川左京の宅に移ると稱し、酉半刻、龍光院に入り、亥刻、發喪。二十二歳。 |
● | 龍光院に葬られる。 |
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『織仁親王行實』第十八章 王女「苞子女王」(五〇九〜五一〇頁) |
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『新修 有栖川宮系譜』 六一〜六二頁 |
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