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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[嘉言]

フレームなし

工事中

嘉言親王 よしこと
 
 聖護院宮(一)
 
もと 嘉言親王[聖護院門跡]
【僧】雄仁親王[聖護院門跡]
 
【幼稱】
 「
巍宮」 「多嘉宮」 たかのみや
 
【法號】
 「普賢心寺宮
 
【出自】
 貞敬親王[伏見殿]の男子と公示。
 實は邦家親王[伏見殿]の二男。薨後、實系に復す。
 光格天皇の養子。
 
【生母】
 上野壽野
 家女房
 
【養母】
 「權中納言局」
 藤原朝臣婧子
 のちの東京極院
 
【經歴】
文政四年(一八二一)正月二十六日生。
「巍宮」 「多嘉宮」
「巍宮」(たかのみや)と幼稱が定められる。
 稿本仁孝天皇實録』六六四頁所引『伏見宮系譜』「嘉言ヨシコト親王」
文政四辛巳年正月廿六日誕生 號タカ
天保二年五月四日聖護院宮附第【弟】被仰出(十一)
同三壬辰年二月二日親王宣下(十二)俗名嘉言
『系圖綜覽』所収『皇室系譜』「伏見宮」九五頁に「後改多嘉宮」とあるが、改稱ではなく同訓の異表記か。
「多嘉宮」[聖護院門跡]
天保二年(一八三一)五月四日、聖護院門跡萬壽宮(貞敬親王の八男)の「不輕御容體」により、故聖護院門跡盈仁親王(典仁親王[閑院殿]の男子)の附弟となる。十一歳。
天保二年(一八三一)十一月二十七日乙亥、仙洞(光格天皇)の養子となる。
天保二年(一八三一)十一月二十八日丙子、養母を權中納言局(藤原朝臣婧子)と定められる。
嘉言親王[聖護院門跡]
天保三年(一八三二)二月二日、親王宣下。「嘉言(よしこと)」と名を賜わる。十二歳。
『公卿補任』天保三年(壬辰)
二月二日。親王(嘉言)宣下。上卿新源大納言【基豐[廣幡]】。辨愛長【甘露寺】。勅別當勸修寺中納言【經則】。奉行隆道朝臣【油小路】。
『伏見宮日記』天保三年二月二日
『言成卿記』天保三年二月二日
『職寅記』天保三年二月二日庚辰
リ、晝後或雪。
一、聖護院宮親王宣下(【傍注】御名嘉言)也。・・・・・
・・・・・
  上卿 廣幡大納言基豐卿
  奉行 油小路頭中將隆道朝臣
  辨  甘露寺左少辨愛長
『實久卿記』天保三年二月二日庚辰
リ。巳終刻、參院。依番也。直宿仕。今日多嘉宮(【傍注】聖護院治定也)(御養子也)親王宣下也。
少外記平田家記録 H206-1
聖護院所藏『嘉言親王親王宣旨御名字』
雄仁親王[聖護院門跡]
天保三年(一八三二)二月二十八日、聖護院に入寺。得度。法諱「雄仁」。十一歳。
『公卿補任』天保三年(壬辰)
二月 ・・・・・ 廿八日。雄仁親王得度。奉行隆道朝臣【油小路】。
『伏見宮日記』天保三年二月廿八日
『伏見宮日記』天保三年三月朔日
天保九年(一八三八)七月十八日、一身阿闍梨に補される。
少外記平田家記録 H206-5
天保九年(一八三八)七月十九日、二品に敍される。十七歳。
少外記平田家記録 H206-5
弘化四年(一八四七)二月十三日、護持僧となる。
少外記平田家記録 H206-14
安政六年(一八五九)八月二十七日、惡疫流行のため、孝明天皇の命により、祈祷を行う。
稿本孝明天皇實録』五六〇〜五六一頁 安政六年八月二十七日、「聖護院雄仁親王ヲシテ惡疫禳除ノ御祈祷ヲ修セシメラル、」
八月廿六日付孝明天皇宸翰(九條本)
『言渡』安政六年八月廿七日
安政六年(一八五九)十一月二十七日、一品に進む。
稿本孝明天皇實録』五七〇〜五七一頁 安政六年十一月二十七日、「聖護院雄仁親王ヲ一品ニ敍セラレ、惡疫御祈禳ノ勞ヲ賞セラル、」
慶應四年(一八六八)正月七(イ六)日、復飾。
『北白川宮御達(竝)諸願伺屆留』慶應四年正月七日
嘉言親王[聖護院宮]
慶應四年(一八六八)正月九日、舊號「聖護院宮」の稱をあらためて賜わり、「嘉言」と復名。議定に任じられる。
『北白川宮御達(竝)諸願伺屆留』慶應四年正月九日
慶應四年(一八六八)正月十五日、(一品を辭し)、あらためて二品に敍される。
『實麗卿記』慶應四年正月十六日乙丑
慶應四年(一八六八)二月二十日、議定を免じられる【要確認】。
慶應四年(一八六八)八月五日、元服。上野大守に任じられる。
内國事務総督、海軍総督に任じられる。
明治元年(一八六八)閏四月十五日、智成親王[照高院宮]を嗣子とする。
『皇族制度史料 皇族四』二一三頁
明治元年(一八六八)八月一日、死亡。四十八歳。
明治元年(一八六八)八月十一日「薨」(發喪)。
號「普賢心寺宮」。
 
工事中【墓所】
 
【附弟】
信仁親王
邦家親王[伏見宮]の[十三]男。
のち智成親王 さとなり
  [照高院宮 のち北白川宮]
 
【若王子家の堂上取立】
還俗して海軍總督に任じられた聖護院宮嘉言親王の補佐役を拜命した若王子大僧正雄嚴は、明治元年(一八六八)二月二十八日、法印大和尚位、大僧正の僧位僧官を辭し、同年三月三日、遠文と改名、明治二年(一八六九)二月二十一日、堂上に列された。
松田敬之「堂上格・華族格に関する一考察 ── 維新後の社家が懇望した身分について ──」(『藝林』第四十八巻第三号、平成十一年八月)34〜36頁
 
【文獻等】
『皇室制度史料 皇族三』一七八〜一七九頁、二五八〜二六〇頁
稿本仁孝天皇實録』六六三〜六六四頁 天保三年二月二日「伏見宮邦家親王ノ王子ニ親王宣下アリ、名ヲ嘉言ト賜フ、」
『系圖綜覽』所收『皇室系譜』「伏見宮」 九五頁
平成新修 旧華族家系大成 上巻』 三五〜三六頁


 
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更新日時: 2010.07.03.
公開日時: 2010.04.19.


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