英子女王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
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英子女王 ひでこ
のち 久邇英子 くに ひでこ
木下英子 きのした ひでこ
 
【出自】
 
朝融王[久邇宮](のち久邇朝融)の四女。
 
【母】
 知子女王
 朝融王妃
 博恭王[伏見宮]の三女。
 
【經歴】
昭和十二年(一九三七)七月二十一日、生誕。
『官報』第三一六五號 昭和十二年七月二十二日 木曜日 告示「宮内省告示第十五號」
朝融王妃知子女王殿下本日午前四時八分東
京市澁谷區宮代町一番地久邇宮邸ニ於テ御
分娩女王御誕生アラセラル
 昭和十二年七月二十一日
        宮内大臣 松平 恒雄
英子女王
昭和十二年(一九三七)七月二十七日、「英子(ヒデコ)」と命名。
『官報』第三一七〇號 昭和十二年七月二十八日 水曜日 告示「」
本月二十一日誕生セラレタル朝融王殿下ノ
第四女子名ヲ英子(【振假名】ヒデコ)ト命セラル
 昭和十二年七月二十七日
        宮内大臣 松平 恒雄
久邇典子
昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十三條の規定により、皇族の身分を離れる
『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示
○宮内府告示第十六号
 恒憲王妃敏子、邦壽王、治憲王、章
憲王、文憲王、宗憲王、健憲王、邦昭
王、朝建王、朝宏王、朝子女王、通子
女王、英子女王、典子女王、守正王妃
伊都子、孚彦王、孚彦王妃千賀子、誠
彦王、冨久子女王、美乃子女王、稔彦
王妃聰子内親王、盛厚王、盛厚王妃成子
内親王、信彦王、文子女王、俊彦王、
恒コ王妃光子、恆正王、恆治王、素子
女王、紀子女王及び春仁王妃直子各殿
下は、皇室典範第十三條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
 昭和二十二年十月十三日
     宮内府長官 松平 慶民
木下英子
木下雄三と結婚。
 
【配偶】
 木下雄三
 木下又三郎(本州製紙會長)の男子。
 
【文獻等】
平成新修 旧華族家系大成 上巻』 三七頁


 
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公開日時: 2014.10.21.

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