由道王 / 源由道


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[由道]

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由道王
 
 のち源朝臣由道
 
【出自】
 
本康親王の男子。
 仁明天皇二世。
類從本『本朝皇胤紹運録』 本康親王の子
源由道 從四下阿波備前等守
『本朝尊卑分脈圖脱漏』 本康親王の子
源由道 備前阿波守從四下
 
【經歴】
由道王
二世孫王として從四位下に敍されたと考えられる。
承平六年(九三六)四月七日までに、兵部大輔に任じられる。
承平六年(九三六)四月七日、擬階奏に參仕。時に兵部大輔。
『九條殿記』擬階奏 承平六年四月七日乙丑
・・・・ 式部少輔藤原朝臣在衡、兵部大輔由道王等、經布【敷】政・宣仁兩門、參進軒廊北庭、東面南上而立(依省次也)。上卿云。「式部省」。輔稱「唯」。又云。「兵部省」。同又輔稱「唯」。仰云。「短册省持罷依例行之」。同音稱「唯」。退出。
天慶元年(九三八)十一月十日、兵部大輔として、兵部省の位記目録を奏す。
『本朝世紀』天慶元年十一月十日癸丑
兵部大輔由道王
天慶二年(九三九)六月二十九日、大秡に參仕。時に兵部大輔。
『九條殿記』大秡事 天慶二年六月廿九日己亥
・・・・・次、兵部大輔由道王、中務大輔國淵朝臣【源】等、着座。・・・・・
天慶五年(九四二)四月七日、擬階奏に參仕。時に兵部大輔。
『本朝世紀』天慶五年四月七日庚申
此日、平野祭也。又奏擬階之日也。・・・・・ 式部大輔藤原有聲朝臣・兵部大輔由道王入自敷政門、雙立軒廊北庭中(東面北上)。
源朝臣由道
天慶五年(九四二)四月七日以後、天慶六年(九四三)十二月二十四日以前に、源朝臣を賜姓される。
『日本紀竟宴和歌』天慶六年
稿本仁明天皇實録』 三八八頁「皇孫兼似」〔按〕に、
皇孫兼似已下本康親王ノ諸王子、其誕生卒年等凡テ明カナラズ、賜姓ノ事又明カナラネドモ、其系譜ニ王字ヲ書セズイヅレモ源氏ヲ附スレバ、イヅレノ時カ賜姓ノ事アリシハ察スベシ、位階職名ノ記載アルモ賜姓前ナルヤ否ヤ明カナラネバ今凡テ之ヲ除ケリ、
とある。
天慶六年(九四三)十二月二十四日、日本紀竟宴において「得保食~」の題で、「いつくさの たなつものをば うけもちの かみぞなしける よろづよのため」と和歌を詠んだ。時に從四位下行兵部大輔。
『日本紀竟宴和歌』天慶六年(『大日本史料』第一編之八、天慶六年十二月二十四日條所引
  得保食~                 從四位下行兵部大輔源朝臣由道
伊津久散能、多奈津毛能雄者、宇介毛智野、加美曾那志介流、與呂津夜能多
備前守に任じられる。
『本朝皇胤紹運録』
『本朝尊卑分脈圖脱漏』
阿波守に任じられる。
『本朝皇胤紹運録』
『本朝尊卑分脈圖脱漏』
 
【配偶】
 藤原朝臣忠文の女子。
『尊卑分脈』「承和 仁明
 
【子女】
 源朝臣輔成
 母は藤原朝臣忠文の女子。
 藏人、中宮大進、周防守となる。
 源朝臣輔忠
 從五位下に敍される。
『尊卑分脈』「承和 仁明」本康親王の子
從四下
備前〔等わまか〕守  中宮大進
阿波守〔わまか無〕  周防守
由 道 ────┬ 輔 成
〔わまか無〕   │ 〔わまか無〕
│        │ 母參議忠文女
│        │
│        │ 從五下
│        └ 輔 忠 ──── 女 子
│          〔わまか無〕
 
【文獻等】
稿本仁明天皇實録』 三九三頁「皇孫由道」
清水正健『皇族考證』第參巻 一九〜二一頁


 
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更新日時: 2022.01.19.
公開日時: 2003.02.22.


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