由道王 / 源由道
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類從本『本朝皇胤紹運録』 本康親王の子
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『本朝尊卑分脈圖脱漏』 本康親王の子
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由道王 | ||||||
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二世孫王として從四位下に敍されたと考えられる。 | |||||
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承平六年(九三六)四月七日までに、兵部大輔に任じられる。 | |||||
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承平六年(九三六)四月七日、擬階奏に參仕。時に兵部大輔。
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天慶元年(九三八)十一月十日、兵部大輔として、兵部省の位記目録を奏す。
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天慶二年(九三九)六月二十九日、大秡に參仕。時に兵部大輔。
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天慶五年(九四二)四月七日、擬階奏に參仕。時に兵部大輔。
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源朝臣由道 | ||||||
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天慶五年(九四二)四月七日以後、天慶六年(九四三)十二月二十四日以前に、源朝臣を賜姓される。
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天慶六年(九四三)十二月二十四日、日本紀竟宴において「得保食~」の題で、「いつくさの たなつものをば うけもちの かみぞなしける よろづよのため」と和歌を詠んだ。時に從四位下行兵部大輔。
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備前守に任じられる。
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阿波守に任じられる。
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『尊卑分脈』「承和 仁明」 |
母は藤原朝臣忠文の女子。 藏人、中宮大進、周防守となる。 |
從五位下に敍される。 |
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『尊卑分脈』「承和 仁明」本康親王の子
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『稿本仁明天皇實録』 三九三頁「皇孫由道」 |
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清水正健『皇族考證』第參巻 一九〜二一頁 |
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