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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[阿曾]
 
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□「阿曾宮」
 
 
懷良親王後醍醐院の男子)に比定する説と、懷良親王とは別人であるとする説がある。
御薗生翁甫『大内氏史研究』(山口県地方史学会・大内氏史刊行会、昭和三十四年(一九五九)十月二三五頁に、
・・・・・ 芸州における南北両軍の情勢を察するに、安芸一方の豪族たる毛利氏は建武中興の時毛利時親の子貞親越後国において阿曾宮に党し、その子親衡佐渡国司に従って下向した。時親一人在京し、子孫みな越後に在国した。・・・・・
とある。
 「阿蘇宮」をも見よ。


 
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公開日時: 2008.01.24.

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