沙弥円戒
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中村直勝『荘園の研究』に、「永仁三年(一二九四【ママ】)二月二十八日に至り、久光王(入道して円戒法師という)の遺跡が其の女若寿女に伝えられ」云々とあるが、久光王と圓戒は別人である。 |
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正應五年(一二九二)閏六月十六日、播磨國大部庄における地頭代殺害事件(六月二十九日)等について東大寺から御ヘ書を下されたことに對して、共に公文職にある久光王と連署した請文を東大寺に奉った。
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永仁三年(一二九五)二月二十八日、東大寺によって、圓戒法師の女子「王若壽女」が、久光[王]と共に、東大寺領播磨國大部庄の公文職に補された。よって、この時までに圓戒は死去していたと考えられる。
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小野市史編纂専門委員会 編集『小野市史』第四巻 史料編T(小野市、平成九年(一九九七)十月) |
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『中村直勝著作集』第四巻「荘園の研究」(淡交社、昭和五十三年九月。初出、中村直勝『荘園の研究』星野書店、昭和十四年(一九三九)十月)216頁 |
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赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流』 吉川弘文館、二〇二〇年一月 |
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