沙弥円戒


前頁 「 圓 [圓胤]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[圓戒]

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【僧】圓戒
 
 「沙彌圓戒
 圓戒法師」
 
 播磨國大部庄の公文
 
久時と同一人であると考えられる。
中村直勝『荘園の研究』に、「永仁三年(一二九四【ママ】)二月二十八日に至り、久光王(入道して円戒法師という)の遺跡が其の女若寿女に伝えられ」云々とあるが、久光王と圓戒は別人である。
 
【出自】
 未詳。
 久C王の子孫であると考えられる。
 
【經歴】
正應五年(一二九二)閏六月十六日、播磨國大部庄における地頭代殺害事件(六月二十九日)等について東大寺から御ヘ書を下されたことに對して、共に公文職にある久光王と連署した請文を東大寺に奉った。
尾張國眞n寶雁U『東大寺古文書』上卷所收 後六月十六日付「兩公文久光王・沙彌圓戒請文」
今月十三日御ヘ書、同十五日到來、畏拜見仕候。
抑當御庄間事、去月廿九日、地頭代爲夜討
被殺害、同政所焼拂候畢。又今月三日、
預所御政所并其邊在家等焼失候畢。
此条庄家故驚存候之間、即以飛脚□
言上候之處、 院家御物詣之旨□□□
空罷候。凡御領内如此乱強候事〓□□
不少候。雖然依風聞諸々不同候。不知實正
候之間、不及委細言上候。承及候事者、
申〓御使候畢。次如被仰下候西收
相進早田檢見雖令明候。御雜掌未被入廻
可爲何樣候哉。御領無爲公平進濟之条處
土民庶幾次第候。以此旨可有御披露候。恐惶謹言。
               久光
     後六月十三日 兩公文   
              沙彌圓戒
『小野市史』第四巻 史料編T、口繪22「両公文久光王・沙弥円戒請文 真福寺所蔵」。同566頁「二五九 両公文久光王・沙弥円戒請文 名古屋市 真福寺所蔵
永仁三年(一二九五)二月二十八日、東大寺によって、圓戒法師の女子「王若壽女」が、久光[王]と共に、東大寺領播磨國大部庄の公文職に補された。よって、この時までに圓戒は死去していたと考えられる。
尾張國眞n尓カ書『東大寺領播磨國大部庄兩公文職補任状一卷』所收 永仁三年二月廿八日付「大部庄公文職補任状案」
補任 東大寺播磨國大部庄兩公文職。
  王久光
  圓戒法師跡王若壽女
右以人、所被補任彼職也。有限之所役、□□寺家之所命、無殊子細者、向後更不可有□□【相違】者、滿寺衆議如斯。庄家宜承知、勿違失。□□補任之状如件。
  永仁三年二月廿八日
有司大法師 在判
年預大法師【年預五師尊顯】 在判
『小野市史』第四巻 史料編T、574〜575頁「二七一 大部庄公文職補任状案」
 
【子女】
 ○「
若壽」(のち覺性
 
【文獻等】
小野市史編纂専門委員会 編集『小野市史』第四巻 史料編T(小野市、平成九年(一九九七)十月)
『中村直勝著作集』第四巻「荘園の研究」(淡交社、昭和五十三年九月。初出、中村直勝『荘園の研究』星野書店、昭和十四年(一九三九)十月)216頁
赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流』 吉川弘文館、二〇二〇年一月


 
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公開日時: 2021.07.12.

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