久光王


前頁 「 久 [久巖]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[久光王]

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久光王
 東大寺領 播磨國 大部庄 公文
 
久秀より改名したと考えられる。
尾張國眞n尓カ書『東大寺領播磨國大部庄兩公文職補任状一卷』所收 弘安六年六月十日付「大部庄公文職補任状案」に「義光王改久秀」とあるが、「義光王」は「久光王」とあるべきものであり、「改久秀」は「久秀と改む」ではなく「久秀を改む」と解釋すべきものであろう。中村直勝『荘園の研究』に、「弘安六年(一二八三)六月十日には久光王が名を久秀と改めて」とあり、「義光王」でなく「久光王」と讀んでいることに從うべきであると思われる。
中村直勝『荘園の研究』に、「永仁三年(一二九四【ママ】)二月二十八日に至り、久光王(入道して円戒法師という)の遺跡が其の女若寿女に伝えられ」云々とあるが、久光王と圓戒は別人である。
 觀圓(圓戒の女子「若壽」の夫)と同一人である可能性があるか。
 
【出自】
 未詳。
 久C王の子孫であると考えられる。
 
【經歴】
弘安六年(一二八三)六月十日、播磨國大部庄の預所たる東南院より、政所下文を以て、「相傳の道理に任せ」て、大部庄の公文職に補された。
尾張國眞n尓カ書『東大寺領播磨國大部庄兩公文職補任状一卷』所收 弘安六年六月十日付「大部庄公文職補任状案」
東南院政所補任大部庄公文職事
  義光王改久秀
右、以右人、依爲重代補任、庄家宜承知、□□依 仰補任如件。
  弘安六年六月十日
院別當法眼和尚位 在判
小野市史編纂専門委員会 編集『小野市史』第四巻 史料編T(小野市、平成九年(一九九七)十月)564〜565頁「二五六 大部荘公文職補任状案 名古屋市 真福寺所蔵
『鎌倉遺文』第一四八七二號文書『尾張寳生院文書』
「義光王」は、「久光王」とあるべきものであろう。『中村直勝著作集』第四巻「荘園の研究」216頁。同217頁 注(2)、「『宝生院文書』所収」
東大寺領播磨國大部庄の庄務をめぐり、地頭代等との間に相論があった。
『東大寺文書』一−二十五−一四四三九、三月廿日付「年預五師實專書状案」
(端裏書)
「御擧状案 か□□」
         部□
東大寺領播磨國□【大】部庄公文久光申。當庄地頭代等庄務相論之刻、敵方引汲之由、互成疑(【右傍】殆自兩方)申付、種々不□【實】、於久光致濫訴()子細見状候歟。但沙汰人等可相【左傍】旨)候由事、訴状□子細見于状候歟。可有申御沙汰之由、衆議所候也。謹言。

  三月廿日       年預五師實專
謹上 御奉行所
小野市史編纂専門委員会 編集『小野市史』第四巻 史料編T(小野市、平成九年(一九九七)十月)582〜583頁「二八四 年預五師実専書状案 一―二十五―一四四
正應五年(一二九二)六月十三日、播磨國大部庄内の鹿野原の沙汰をめぐる淨土寺衆徒との相論について東大寺から御ヘ書を下されたことに對して、共に公文職にある久時と連署した請文を東大寺に奉った。
『東大寺文書』一−二十四−四三九、正應五年六月十三日付「鹿野原方兩公文久光・久時請文」
六月七日御ヘ書、同十一日到來、畏拜領仕候了。
抑淨土寺衆徒鹿野原沙汰事、以外憤申候。進御返状之候上者、子細見状候歟。但沙汰人等可相從本所之御下知之由事、謹承候了。可存其旨候之由、可有御披露候。恐惶謹言。

  正應五年六月十三日   原方兩公文
               久光(裏花押)
               久時(裏花押)
小野市史編纂専門委員会 編集『小野市史』第四巻 史料編T(小野市、平成九年(一九九七)十月)565頁「二五八 鹿野原方両公文久光・久時請文 一―二十四―四三九
正應五年(一二九二)閏六月十六日、播磨國大部庄における地頭代殺害事件(六月二十九日)等について東大寺から御ヘ書を下されたことに對して、共に公文職にある沙彌圓戒と連署した請文を東大寺に奉った。
尾張國眞n寶雁U『東大寺古文書』上卷所收 後六月十六日付「兩公文久光王・沙彌圓戒請文」
今月十三日御ヘ書、同十五日到來、畏拜見仕候。
抑當御庄間事、去月廿九日、地頭代爲夜討
被殺害、同政所焼拂候畢。又今月三日、
預所御政所并其邊在家等焼失候畢。
此条庄家故驚存候之間、即以飛脚□
言上候之處、 院家御物詣之旨□□□
空罷候。凡御領内如此乱強候事〓□□
不少候。雖然依風聞諸々不同候。不知實正
候之間、不及委細言上候。承及候事者、
申〓御使候畢。次如被仰下候西收
相進早田檢見雖令明候。御雜掌未被入廻
可爲何樣候哉。御領無爲公平進濟之条處
土民庶幾次第候。以此旨可有御披露候。恐惶謹言。
               久光
     後六月十三日 兩公文   
              沙彌圓戒
小野市史編纂専門委員会 編集『小野市史』第四巻 史料編T(小野市、平成九年(一九九七)十月)口繪22「両公文久光王・沙弥円戒請文 真福寺所蔵」。同566頁「二五九 両公文久光王・沙弥円戒請文 名古屋市 真福寺所蔵
永仁三年(一二九五)二月二十八日、東大寺によって、東大寺領播磨國大部庄の公文職に再補された。なお、同庄公文職には、圓戒法師の女子「王若壽女」も共に補された。
尾張國眞n尓カ書『東大寺領播磨國大部庄兩公文職補任状一卷』所收 永仁三年二月廿八日付「大部庄公文職補任状案」
補任 東大寺播磨國大部庄兩公文職。
  王久光
  圓戒法師跡王若壽女
右以人、所被補任彼職也。有限之所役、□□寺家之所命、無殊子細者、向後更不可有□□【相違】者、滿寺衆議如斯。庄家宜承知、勿違失。□□補任之状如件。
  永仁三年二月廿八日
有司大法師 在判
年預大法師【年預五師尊顯】 在判
小野市史編纂専門委員会 編集『小野市史』第四巻 史料編T(小野市、平成九年(一九九七)十月)574〜575頁「二七一 大部庄公文職補任状案」
永仁六年(一二九八)五月四日・七日、東大寺領播磨國大部庄の公文として、未進の用途を八月中に利息付きで納入する旨の請文を、東大寺に出した。
『東大寺成卷文書』第五五卷第三八九號文書 永仁六年五月四日付「大部庄公文久光餘作請料未進用途請文」
請申餘作請料未進用途事
 合拾貫文者
右件用途者、當時依[不]合期候、月利貫別、加柒拾文之利分、來八月中、無懈怠、忩々可致其沙汰候。仍爲後日、證文之状如件。
  永仁六年五月四日
            大部庄公文久光
小野市史編纂専門委員会 編集『小野市史』第四巻 史料編T(小野市、平成九年(一九九七)十月)582頁「二八二 大部荘公文王久光余作請料未進用途請文 東大寺成巻文書第五五巻三八九
『東大寺文書』三−四−六〇 永仁六年五月七日付「久光永仁四年上智分未進請文」
請申 永仁四年上智分未進事
 合 一米參斗參升七合
   一大豆參斗九升
右、件未進於米・大豆者、加伍把之利分、來八月中、無懈怠、可令致其沙汰候。若致懈怠者、可蒙呵法之譴責候。仍爲後□【日】、證文之状如件。
  永仁六年五月七日       久光 (花押)
小野市史編纂専門委員会 編集『小野市史』第四巻 史料編T(小野市、平成九年(一九九七)十月)582頁「二八三 久光請文 三―四―六〇
永仁五年・六年には旱魃があった。
『東大寺文書』一−十二−九 永仁六年六月 日付「大部御庄百姓等申状」
小野市史編纂専門委員会 編集『小野市史』第四巻 史料編T(小野市、平成九年(一九九七)十月)583〜585頁「二八六 大部荘百姓等申状 一―十二―九
 
【文獻等】
『中村直勝著作集』第四巻「荘園の研究」(淡交社、昭和五十三年九月。初出、中村直勝『荘園の研究』星野書店、昭和十四年(一九三九)十月)216頁


 
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公開日時: 2013.11.28.

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