万数宮


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[萬數]

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工事中

萬數宮」 ますのみや
 
【法號】
 
覺圓院
 
【出自】
 貞建親王の六男。
 後崇光院の十一世孫
現在、宮内廳では「後伏見天皇十六世皇孫女」と稱す。
 
【母】
 「玉野井」
 家女房。
 賀茂縣主應子
 賀茂縣主C先[岡本]の女子。
 
【經歴】
延享五年(一七四八)二月二日卯刻、誕生。
『伏見宮日記』延享四年九月十九日
『伏見宮日記』延享五年二月二日
『伏見宮系譜』
延享五年(一七四八)二月八日、七夜。「萬數宮」と稱される。
『伏見宮日記』延享五年二月八日
延享五年(一七四八)三月二日、忌明により産屋より伏見宮邸に移る。
『伏見宮日記』延享五年三月二日
『伏見宮日記』延享五年三月七日
延享五年(一七四八)七月九日、喰初。
『伏見宮日記』延享五年七月九日
寛延元年(一七四八)九月二十六日、上御靈社に御宮詣(社參始)。
『伏見宮日記』寛延元年九月廿六日
『伏見宮系譜』
寛延二年(一七四九)十一月四日、灸治。
『伏見宮日記』寛延二年十一月四日
寛延二年(一七四九)十一月二十八日、髪置。
『伏見宮日記』寛延二年十一月廿八日
『伏見宮系譜』
寛延三年(一七五〇)九月、疱瘡に罹患し、九月二十日、河原御別業に移る。
『伏見宮系譜』
『伏見宮日記』寛延三年九月廿日
『伏見宮日記』寛延三年九月廿八日
『伏見宮日記』寛延三年十月九日
『伏見宮日記』寛延三年十月十三日
寛延三年(一七五〇)十一月二十五日、色直。
『伏見宮日記』寛延三年十一月廿五日
『伏見宮系譜』
寛延四年(一七五一)三月二十三日、發熱。
『伏見宮日記』寛延四年三月廿四日
寛延四年(一七五一)三月二十五日子刻、死去。四歳。
『伏見宮日記』寛延四年三月廿五日
『伏見宮系譜』
寛延四年(一七五一)三月二十六日、養生のためと稱して相國寺心華院の輪番寺である豐光寺に遺骸を移し、發喪。
『伏見宮日記』寛延四年三月廿六日
『伏見宮系譜』
寛延四年(一七五一)三月二十七日、入棺。「覺圓院」と追號が定められた。
『伏見宮日記』寛延四年三月廿七日
寛延四年(一七五一)三月二十九日、相國寺に葬られる。
『伏見宮日記』寛延四年三月廿九日
 
【墓所】
 京都市上京區相國寺門前町 相國寺内伏見宮墓地
 
【文獻等】



 
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公開日時: 2013.09.27.

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