豊井王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[豐井]

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豐井王
 
【出自】
 系譜未詳。
 四世王以下。
 
【經歴】
正六位上に敍される。
承和十二年(八四五)正月七日、正六位上から從五位下に敍される。
『續日本後紀』承和十二年正月甲寅
 天皇御豊樂院、宴于群臣。詔授正三位橘朝臣氏公從二位。從五位上石作王正五位下。從五位下安宗王從五位上。正六位上豊井王、仲嗣王並從五位下。
承和十二年(八四五)八月七日、肥前守となる。
『續日本後紀』承和十二年八月辛巳
從五位下豊井王爲肥前守。
齊衡二年(八五五)正月七日、從五位下から從五位上に昇敍。
『日本文コ天皇實録』齊衡二年正月戊子
 帝御南殿、覽馬、宴群臣、如常儀。加三品賀陽親王二品。從三位藤原朝臣良相、橘朝臣岑繼等正三位。正四位下伴宿祢善男從三位。從四位下藤原朝臣貞守從四位上。從四位上正躬王正四位下。无位輔世王從四位下。從四位下楠野王從四位上。從五位下豊井王從五位上。无位連扶王【連快王】、正六位上C名王等從五位下。
齊衡二年(八五五)正月十五日、能登守となる。
『日本文コ天皇實録』齊衡二年正月丙申
從五位上豊井王爲能登守。
貞觀二年(八六〇)二月十四日、但馬權守となる。
『日本三代實録』貞觀二年二月十四日乙未
從五位上豊井王爲但馬權守。
但馬權守として、公廨を割き、長さ一丈五尺の十八旒の幡を造り、但馬國分寺に施入し、「永く官帳に附し、以て御願に資す」ように官裁を請願。貞觀四年(八六二)十一月二十五日、その請願が太政官によって認められた。
『日本三代實録』貞觀四年十一月廿五日己丑
先是、從五位上行但馬權守豊井王、割公廨造幡十八旒、各長一丈五尺、施入國分寺。請官裁云。永附官帳、以資御願。太政官處分、依請焉。


 
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公開日時:2022.06.05.

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