芳子内親王


前頁 「 芳 [芳之]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[芳子@]

フレームなし


芳子内親王
 
【出自】
 
嵯峨天皇の女子。
 
【母】
 橘朝臣嘉智子
嵯峨天皇の皇后。
稿本嵯峨天皇實録』二八七頁の〔按〕に、
内親王、續日本後紀ニ太皇太后所誕第五皇女トアレドモ、ソノ輩行遽ニ定メ難シ、尚ホ内親王ノ母ヲ吹上本竝ニ前田本帝王系圖、本朝皇胤紹運録諸本ニ文屋氏ト爲スモ續日本後紀ノ記載ニ從フ、
とある。
 
【經歴】
承和五年(八三八)十二月二十六日、薨逝。
母、太皇太后橘朝臣嘉智子の旨により、監護使を停められた。
『續日本後紀』承和五年十二月庚戌
芳子内親王薨。嵯峨太皇大后所誕第五皇女也。依大后旨、停監護使。
承和六年(八三九)正月一日、仁明天皇は、同母姉妹の芳子内親王が去月に薨逝したため、朝賀の儀を停止した。
『續日本後紀』承和六年正月甲寅朔
廢朝賀。縁 天皇之同産芳子内親王去月薨背也。
『朝野群載』巻第廿一「凶事」、「御傍親從二位源朝臣隆子薨准行例勘文(寛治三年十月四日付)」(新訂増補國史大系二十九上ノ四八八頁)
勘申 從二位源朝臣隆子薨逝。可被准行例事。
 承和五年十二月廿六日、芳子内親王薨(嵯峨天皇第五子)。同六年正月甲寅朔、廢朝賀。縁 天皇同産芳子内親王去月薨逝也。是日 天皇不御紫宸殿。但於陣頭賜侍從以上酒及祿云々。 天皇是嵯峨天皇第二子也。雖爲淳和天皇之養子、若就本生被停朝賀歟。
右文簿所注如件。勘申。
  寛治三年十月四日        主税頭兼大外記博士伊與權介中原朝臣師平勘申
 
【文獻等】
稿本嵯峨天皇實録』 二八七頁 「皇女芳子内親王」
C水正健『皇族考證』第貳巻 二百八十二頁


 
次頁 「 芳 [芳子A]
『 親王 ・ 諸王略傳 』 目次 「 は 」  『 親王 ・ 諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


更新日時: 2012.04.09.
公開日時: 2011.10.10.


Copyright: Ahmadjan 2011.10 - All rights reserved.