楠野王
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正六位上に敍される。 | |||||
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弘仁十四年(八二三)四月二十七日、淳和天皇御即位敍位において、正六位上から從五位下に昇敍。
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天長六年(八二九)正月七日、從五位下から從五位上に昇敍。
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天長九年(八三二)正月七日、從五位上から正五位下に昇敍。
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内匠頭となる。 | |||||
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天長十年(八三三)四月七日、伊勢太~宮に齋宮の交替の状を告ぐ伊勢臨時奉幣使の使王を勤仕。時に内匠頭正五位下。
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承和四年(八三七)三月二十二日、伊勢臨時奉幣使の使王を勤仕。時に内匠頭正五位下。
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承和七年(八四〇)七月二十二日、中務大輔となる。
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散位頭となる。 | |||||
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承和九年(八四二)八月四日または十三日、道康親王の立太子を奉告する柏原山陵使を勤仕。時に散位頭正五位下。
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縫殿頭となる。 | |||||
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承和十年(八四三)三月二十二日、左兵庫頭となる。
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嘉祥三年(八五〇)八月八日、晏子内親王が伊勢齋宮となった由を伊勢太~宮に奉告する伊勢臨時奉幣使の使王を勤仕。時に散位正五位下。
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嘉祥四年(八五一)正月十一日、駿河守となる。
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仁壽元年(八五一)十一月二十六日、文コ天皇大嘗會敍位において、正五位下から從四位下に昇敍。
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齊衡二年(八五五)正月七日、從四位下から從四位上に昇敍。
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