敦道親王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[敦道]

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敦道親王
 
【出自】
 
冷泉院の第四親王。
 
【經歴】
九八一(天元四年)生。
『權記』寛弘四年十月二日乙未條、『日本紀略』寛弘四年十月二日乙未條、『一代要記』より逆算。
親王宣下。
永觀三年(九八五)正月五日、両兄、居貞・爲尊兩親王と共に、飛香舍に宗子内親王を訪ね、天皇(花山院)より下賜品を賜わる。
『小右記』永觀三年正月五日庚戌
冷泉院二・三・四親王被詣女一宮(飛香舍)。・・・・・
正暦四年(九九三)二月二十二日、東三條南院に於いて元服。加冠は左大臣源朝臣雅信。理髪は參議藤原朝臣公任。
『小右記』正暦四年二月廿二日庚辰「親王加冠并攝政女子三人一度着裳事」
今夜、冷泉院四親王【敦道】加元服。攝政【藤原道驕z二【原子】・三【後ノ敦道親王室】・四娘【後ノ一條天皇御匣殿】着裳(南院云々。・・・・・)
『小右記』正暦四年二月廿三日辛巳
『日本紀略』正暦四年二月廿二日庚辰
冷泉院第四敦道親王於東三條南院元服。加冠左大臣(【傍注】雅信)。理髪參議藤原公任。又攝政(【傍注】道驕j第三姫君於同院西對着裳。
正暦四年(九九三)二月二十三日、四品に敍され、帶劔を勅授され、昇殿を聽される。
『日本紀略』正暦四年二月廿三日辛巳
敦道親王參内。於陽明門外脱車。攝政(【傍注】道驕j・内大臣(【傍注】道兼)以下參仕。今夜敍四品。
『小右記』正暦四年二月廿四日壬午
昨日四宮被參内、下~筆敍四品。兼賜勅授。又被聽昇參。攝政・内府及他公卿追從云々。
正暦四年(九九三)三月十日、小除目にて大宰帥に任じられる。
『小右記』正暦四年三月十日戊戌
昨日直物。其次有召物云々。・・・・・ 大宰帥四品敦道親王。・・・・・
正暦四年(九九三)三月十五日、木幡に參詣。
『小右記』正暦四年三月十五日癸卯「敦道親王參木幡事」
敦道親王被參木幡云々。公卿五人相從云々。
正暦五年(九九四)二月二十日、關白藤原朝臣道驍フ積善寺供養會に參列
『日本紀略』正暦五年二月廿日壬寅
長保四年(一〇〇二)八月九日、群盗に入られる。
『小記目録』第十七「臨時 七」「捜盗事(付盗賊)」
同【長保】四年八月九日、群盗入帥宮【敦道親王】事
『小記目録』第十七「臨時 七」「捜盗事(付盗賊)」
同年同月【長保四年八月】廿二日、依捕入帥宮【敦道親王】盗人、給祿廷尉事。
中務卿に任じられる。
『本朝世紀』長保四年十月廿二日癸未
『本朝世紀』長保四年十月廿四日乙酉
中務卿敦道親王
大宰帥に任じられる。
寛弘二年(一〇〇五)九月二十六日、法事を行う。
『權記』寛弘二年九月廿六日辛未
寛弘四年(一〇〇七)四月二十五日、具平親王と共に内裏の詩宴に招かれ、翌二十六日、三品に昇敍。下賜品を賜わる。
『御堂關白記』寛弘四年四月廿三日己丑
『御堂關白記』寛弘四年四月廿五日辛卯
『御堂關白記』寛弘四年四月廿六日壬辰
・・・・・ 仰云。兩人親王各可敍一品者。・・・・・
『日本紀略』寛弘四年四月廿五日辛卯
於一條院皇居命詩宴。・・・・・ 今日、三品具平親王敍二品、四品敦道親王敍三品。各下殿拜舞。
寛弘四年(一〇〇七)閏五月二十六日、敦道親王の從者と右大臣藤原顯光の家人とが鬪亂に及ぶ。
『小記目録』第十七「臨時 七」「鬪乱事(付刄傷 謀殺 罪科)」
同年【寛弘四年】閏五月廿六日、帥宮【敦道親王】人与右大臣【藤原顯光】家人鬪乱、帥宮人被疵間事(被奏事由、被追捕下手人事)
寛弘四年(一〇〇七)十月二日、薨逝。二十七歳。
『權記』寛弘四年十月二日乙未
前大宰帥三品敦道親王薨。年廿七。冷泉院太上天皇第四親王也。母女御藤原超子、前太政大臣【兼家】一女也。
『御堂關白記』寛弘四年十月二日乙未
帥宮重惱給者。申時許謂【詣歟】而參著。無程薨給。入夜退出。子時入棺料絹奉。
『日本紀略』寛弘四年十月二日乙未
三品大宰帥敦道親王(【傍注】冷泉皇子)薨(年廿七)。
寛弘四年(一〇〇七)十月七日、葬送。
『御堂關白記』寛弘四年十月七日庚子
帥宮【敦道親王】御葬送。雜事毎々奉仕。又奉車。冷泉院御衰日也。而陰陽師勘之。依有憚改用之。
『權記』寛弘四年十月七日庚子
帥宮【敦道親王】御葬送。今日冷泉院御衰日也。人々云々【衍歟】。可避院御衰日。擇日者吉平朝臣云々。
『小記目録』第廿[臨時 十]「親王・女御薨事(付著錫紵 薨奏 葬礼 法事)」
寛弘四年十月九日、帥宮【敦道親王】御喪【葬】礼、用冷泉院御衰日事。
同日【寛弘四年十月九日】、親王【敦道】骨、不可交置木幡事。
寛弘四年(一〇〇七)十月二十一日、薨奏。
『權記』寛弘四年十月廿一日甲寅
外記文義【小野】覽故敦道親王薨奏文。納言【源中納言俊賢】參御所、令藏人奏之。
『日本紀略』寛弘四年十月廿一日甲寅
奏敦道親王薨由。
『小記目録』第廿[臨時 十]「親王・女御薨事(付著錫紵 薨奏 葬礼 法事)」
寛弘四年十月廿一日、帥宮薨奏事。
 
【墓所】
 京都府宇治郡宇治村大字木幡字中村宇治陵域内に宮内廳が指定した「敦道親王墓」があるが、史料的根據の點で問題がある。
 
工事中 【和歌】
 ●
 
工事中 【配偶者】
 藤原朝臣道驍フ女子
母は高階貴子。
◎『稿本冷泉天皇實録』二〇九〜二一〇頁「敦道親王妃藤原氏」
 藤原朝臣濟時の女子
母は源朝臣延光もと延光王)の女子。
◎『稿本冷泉天皇實録』二一一〜二一二頁「敦道親王妃藤原氏」
 
【子女】
 □
永覺
 
工事中 【逸事等】
和泉式部との間に熱情的な戀愛關係があったことで名高い。
『和泉式部日記』
 
工事中 【文獻等】
稿本冷泉天皇實録』一九九〜二〇八頁「皇子敦道親王」



 
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公開日時: 2013.07.03.

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