延光王
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延長五年(九二七)生。
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『公卿補任』康保三年 參議 從四位上「同【源】延光四十」尻付
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天慶三年(九四〇)八月二十六日、加冠。十四歳。
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前田家本『西宮記』巻十一甲「臨時」戊「親王元服」裏書
天慶三年八月廿六日吏部記【『吏部王記』】。因斎院公主【婉子内親王】請、詣故中務卿【代明親王】孫王冠笄所。常陸親王【式明】又會。依齋院御消息、無他客。余【重明親王】結女王【惠子歟】裙帶。常陸君加孫王【延光歟】冠。左權少將藤原朝臣朝忠理髪。戌剋行其事。・・・・・
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本條に見える「故中務卿孫王」は、延光王を指すと考えられる。『稿本醍醐天皇實録』一二一四頁〔按〕に、「本條西宮記所引吏部王記ノ中務卿孫王、延光王ナルコト確證ナケレドモ、長子重光ハ是年既ニ十八歳ニシテ元慶元年從四位下ニ敍セラレ、該當シガタク、次子保光王亦十七歳ニシテ、十四歳ナル延光王最モ近カルベキカ、」とある。
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天慶五年(九四二)四月二十五日、昇殿。
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『本朝世紀』天慶五年四月廿五日戊寅
又、被定殿上人。中納言顯忠卿、權中納言同敦忠卿、參議源高明朝臣、前伊勢介藤原朝臣國紀、延光王、中務少丞藤原倫寧、已上六人殿上人。藏人左衛門少尉平善理。
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『公卿補任』康保三年 參議 從四位上「同【源】延光四十」袖書には「天慶五四廿四昇殿」とある。
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『貞信公記抄』天暦元年六月十五日
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『日本紀略』天暦元年六月十五日戊辰
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『稿本醍醐天皇實録』一二一四頁〔按〕に、「本條ノ日次、公卿補任、二十四日ト爲スモ、姑ク本朝世紀ノ記載ニ從フ、」とある。
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天慶九年(九四六)正月七日、「殿上の勞」により從四位下に敍される。二十歳。
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『公卿補任』康保三年 參議 從四位上「同【源】延光四十」袖書
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源朝臣延光
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天慶九年(九四六)十一月または五月、源朝臣を賜姓される。
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『公卿補任』康保三年 參議 從四位上「同【源】延光四十」袖書
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九條本・前田新寫一本『公卿補任』康保三年 參議 從四位上「同【源】延光四十」袖書は五月と作す。
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天暦二年(九四八)六月二十九日、侍從となる。
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天暦八年(九五四)三月十四日、春宮權亮となる。
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前田家本『西宮記』十二裏書「太上天皇皇祖母后崩」條所引『同記【九記】』【九暦】天暦八年五月十七日
帶刀手結。權亮延光々々【朝臣】以料物出廳令行。依凉【諒】闇也。
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天暦九年(九五五)七月二十四日、内藏頭を兼任する(春宮權亮は元の如し)。
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天コ三年(九五九)または天コ二年(九五八)の正月三十日、右兵衞督となる(藏人・春宮權亮に留任)。
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『公卿補任』康保三年 參議 從四位上「同【源】延光四十」袖書
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九條本・前田新寫一本『公卿補任』康保三年 參議 從四位上「同【源】延光四十」袖書は五月と作す。
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『公卿補任』康保三年 參議 從四位上「同【源】延光四十」袖書(割注)に「頭亮如元」とあるが、當時、源延光は未だ藏人頭になっていないので、「頭」は誤りであろう。
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天コ四年(九六〇)正月七日、從四位上に敍される。
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天コ四年(九六〇)九月十六日、藏人頭となる。時に三十四歳。
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天コ四年(九六〇)十月九日、右近衞中將に任じられる(頭中將となる)。
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天コ五年(九六一)正月二十五日、備中權守を兼任。
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應和三年(九六三)九月四日、伊豫權守を兼任。
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康保二年(九六五)十月二十八日、致平親王元服の理髪を勤める。
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『御遊抄』御元服「親王御元服加冠以下例」
致平親王、康保二十廿一、於C凉殿
加冠(左兵衞督源兼明卿)
理髪(頭中將源延光朝臣)
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康保三年(九六六)九月十七日、參議となる(右中將は元の如し)。四十歳。
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『公卿補任』康保三年 參議 從四位上「同【源】延光四十」袖書
中務卿代明親王男【九條本・前田新寫一本「三男」】。母。
天慶五四廿四昇殿。同九正七從四下(殿上勞。二十)。十一【九條本・前田新寫一本「五」】月日改姓賜源朝臣。天暦二六廿九侍從。同八三十四春宮權亮。同九七廿四兼内藏頭[【九條本・前田新寫一本】(權亮如元)]。天コ三【九條本・前田新寫一本「二」】年正卅右兵衞督(頭亮如元)。同四正七從四上。同九月十六日藏人頭(三十四)。十月九日右近權中將。同五正廿五兼備中權守。應和三九四兼伊與權守。康保三九十七三木(中將如元)。
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康保四年(九六七)正月二十日、播磨權守を兼任。
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『公卿補任』康保四年 參議 從四位上「源延光四十一」尻付
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安和元年(九六八)十一月十四日、兄の源重光との相替で伊勢權守(兼任)に轉じる。
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『公卿補任』康保四年 參議 從四位上「源延光四十二」尻付
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『公卿補任』康保四年 參議 正四位下「源重光四十六」尻付
・・・・・ 十一月十四日兼播磨權守(與弟延光朝臣相替。止卿)。・・・・・
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安和二年(九六九)八月十三日、春宮大夫を兼ねる。
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『公卿補任』安和二年 參議 從四位上「源延光四十三」尻付
右中將。伊世[【九條本・前田新寫一本】權]守。八月十三日兼春宮大夫。九月廿一日正四位下。
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安和二年(九六九)九月二十一日、正四位下に敍される。
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『公卿補任』安和二年 參議 從四位上「源延光四十三」尻付
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天祿元年(九七〇)八月五日、權中納言に任じられ(春宮大夫は元の如し)、從三位に敍される。
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『公卿補任』安和三年 參議 正四位下「源延光」尻付
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『公卿補任』安和三年 權中納言 從三位「源延光四十四」尻付
八月[【九條本・前田新寫一本】五日]任。[【九條本・前田新寫一本】上首五人]。大夫如元。今日從三位。
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天祿三年(九七二)までに、左衞門督に任じられた(兼任)と考えられる。
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天祿三年(九七二)正月三日、帶劔を勅授される。正月二十四日、中納言に轉じる(左衞門督・春宮大夫は元の如し)。
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『公卿補任』天祿三年 權中納言 從三位「源延光」尻付
春宮大夫。左衞門督。正月三日勅授帶劔。廿四日轉正。
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『公卿補任』天祿三年 中納言 從三位「源延光」尻付
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天祿四年(九七三)二月二十五日、檢非違使別當となる(兼)。
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『公卿補任』天祿四年 中納言 從三位「源延光四十七」尻付
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『公卿補任』天延二年 中納言 從三位「源延光」尻付
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天延三年(九七五)正月二十六日、權大納言に轉任(春宮大夫は元の如し)。四十九歳。
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『公卿補任』天延三年 中納言 從三位「同【源】延光」尻付
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『公卿補任』天延三年 權大納言 從三位「源延光四十九」尻付
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天延四年(九七六)六月十四日、病により出家。
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『日本紀略』貞元元年六月十四日己酉
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『公卿補任』天延四年 權大納言 從三位「×源延光五十」尻付
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天延四年(九七六)六月十七日、薨去。五十歳。
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『日本紀略』貞元元年六月十七日
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『公卿補任』天延四年 權大納言 從三位「×源延光五十」尻付
春宮大夫。六月十四日依病入道。同十七日薨。號枇杷大納言。[【九條本】頭七年。參議五。中納言六。大納言二。別當二]。
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