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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[貞子F]
 
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○ 貞子女王 さだこ
 のち有馬貞子 ありま さだこ
 有馬頼寧の妻。
 
【出自】
 
能久親王[北白川宮]の二女。
 
【生母】
 岩浪稻子
 
【經歴】
明治二十年(一八八七)八月六日生。
貞子女王
明治二十年(一八八七)八月*日命名。
有馬貞子
明治三十六年(一九〇三)二月六日、有馬頼寧へ降嫁
『官報 號外』 明治三十六年二月六日 告示 宮内省告示第二號
昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族の身位を喪失する。
昭和三十九年(一九六四)八月十六日歿。七十八歳。
 
【配偶】
 有馬頼寧 よりやす
 有馬頼萬(旧筑後久留米藩主家。伯爵)の一男。
 明治十七年(一八八四)十二月十七日生。
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 明治四十三年(一九一〇)、東京帝國大學農科大學を卒業。
 明治四十四年(一九一一)、農商務省に入省。
 大正六年(一九一七)、農商務省を辭職し、東京帝國大學農科大學附屬教員養成所講師となる。
 大正十一年(一九二二)、日本教育者協會を設立、同會長となる。
 大正十三年(一九二四)、東京帝國大學農科大學を辭職、衆議院議員に立候補、當選。
 昭和二年(一九二七)四月一日、伯爵を繼承し、衆議院議員を辭任。
 昭和四年(一九二九)八月、貴族院議員に當選。
 昭和七年(一九三二)、齋藤實内閣にて農林政務次官となる。
 昭和十二年(一九三七)、近衛文麿内閣にて農林大臣となる。
 昭和十五年(一九四〇)、大政翼贊會事務局長となる。
 昭和十六年(一九四一)、大政翼贊會事務局長を辭任、政界から隱退。
 昭和二十年(一九四五)、A級戰犯容疑者として東京巣鴨拘置所に入所。翌年釋放される。
 昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族(伯爵)の身位を喪失する。
 昭和三十二年(一九五七)一月九日沒。
 日本中央競馬會理事長。競馬の「有馬記念」は頼寧を記念して命名。
【著述】
 有馬頼寧『友人近衛』(弘文堂(アテネ文庫)、昭和二十三年
 有馬頼寧『政界道中記』(日本出版協同株式會社、昭和二十六年
 有馬頼寧『七十年の回想』(創元社、昭和二十八年十二月
 有馬頼寧「大名の末裔」(『公卿・将軍・大名』(東西文明社、一九五八年八月)、七〜三九頁)
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 『有馬頼寧日記 巣鴨獄中時代』(尚友叢書8-1。尚友倶楽部/山川出版社、一九九七年四月

 
【子女】
 有馬頼秋 よりとき
 明治三十六年(一九〇三)十二月十日生。
 大正十三年(一九二四)九月二十五日歿。
 有馬靜 齋藤靜 さいとう しず
 有馬頼寧の長女。
 明治三十八年(一九〇五)四月六日生。
 齋藤齊(ひとし)(齋藤實の養子)の妻。
 平成十三年(二〇〇一)十月十九日歿。
 ※『平成新修 旧華族家系大成 上巻』六二八頁
 有馬頼春
 明治四十年(一九〇七)二月四日生。
 昭和二十一年(一九四六)六月二十四日歿。
 有馬澄子 足利澄 あしかが すみ
 有馬頼寧の二女。
 明治四十一年(一九〇八)六月三日生。
 足利惇氏(あつうじ)(京都大學名譽教授、東海大學長、日本オリエント学会会長)の妻
 平成四年(一九九二)三月六日歿。
 ※『平成新修 旧華族家系大成 上巻』二九頁
 (三女) 
 有馬正子 龜井正子 かめゐ/かめい みちこ
 有馬頼寧の四女。
 大正四年(一九一五)六月四日生。
 龜井茲建(これたけ)の妻。
 亀井久興(ひさおき)の母。
 ※『平成新修 旧華族家系大成 上巻』四五一頁
 有馬頼義 よりちか
 大正七年(一九一八)二月十四日生。
 作家。『終身未決囚』で直木賞(昭和二十九年上半期)を受賞。
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 昭和五十五年(一九八〇)四月十五日歿。
 
【逸事等】
猪狩史山『申酉回瀾録』(杉浦重剛)によると、所謂「宮中某重大事件」においては、大正九年(一九二〇)の年末頃、杉浦重剛たちと交渉があり、「義姉で明治天皇の皇女である北白川宮成久王妃に話をしてみる」と言ったという。
浅見雅男『闘う皇族 ある宮家の三代』(角川選書380。角川書店、平成十七年(二〇〇五)十月)、八七頁
貞子の姉である滿子の夫にあたる甘露寺受長は、有馬貞子について、「ほめていい、立派なお母さんだった」と語っている。
「甘露寺受長(【振假名】かんろじおさなが)氏との対話」(『華族 明治百年の側面史』(金沢誠・川北洋太郎・湯浅泰雄 編)、講談社、一九六八年四月、九五頁。再刊、北洋社、一九七八年四月、九二頁)
  有馬さんの息子さんで、小説家になっている方が、当時【二二六事件】のことを書いておられますね。
 甘露寺 ああ、有馬頼義・・・・・・。そうですか。あれには閉口だね。何か、お母さんのことを書いているそうだけど・・・・・・。
  イヤ、ほめて書いてありますよ。
 甘露寺 そう。ほめてあればいい。ほめていい、立派なお母さんだった。おやじ【有馬頼寧】の方はどうも・・・・・・。(笑)まあ、愉快な男なんだけど。
 
【文獻等】
『系圖綜覽』所収『皇室系譜』「北白川宮」、一〇七頁
平成新修 旧華族家系大成 上巻』、六一頁
有馬頼義「母、その悲しみの生涯 ── 半夏生 ──」(『別册文藝春秋』第九七號(昭和四十一年(一九六六)九月)、七四〜一五三頁


 
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更新日時: 2006.06.07.
公開日時: 2005.12.25.


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