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有馬頼萬(旧筑後久留米藩主家。伯爵)の一男。 明治十七年(一八八四)十二月十七日生。 明治四十三年(一九一〇)、東京帝國大學農科大學を卒業。 明治四十四年(一九一一)、農商務省に入省。 大正六年(一九一七)、農商務省を辭職し、東京帝國大學農科大學附屬教員養成所講師となる。 大正十一年(一九二二)、日本教育者協會を設立、同會長となる。 大正十三年(一九二四)、東京帝國大學農科大學を辭職、衆議院議員に立候補、當選。 昭和二年(一九二七)四月一日、伯爵を繼承し、衆議院議員を辭任。 昭和四年(一九二九)八月、貴族院議員に當選。 昭和七年(一九三二)、齋藤實内閣にて農林政務次官となる。 昭和十二年(一九三七)、近衛文麿内閣にて農林大臣となる。 昭和十五年(一九四〇)、大政翼贊會事務局長となる。 昭和十六年(一九四一)、大政翼贊會事務局長を辭任、政界から隱退。 昭和二十年(一九四五)、A級戰犯容疑者として東京巣鴨拘置所に入所。翌年釋放される。 昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族(伯爵)の身位を喪失する。 昭和三十二年(一九五七)一月九日沒。 日本中央競馬會理事長。競馬の「有馬記念」は頼寧を記念して命名。 【著述】 有馬頼寧『友人近衛』(弘文堂(アテネ文庫)、昭和二十三年) 有馬頼寧『政界道中記』(日本出版協同株式會社、昭和二十六年) 有馬頼寧『七十年の回想』(創元社、昭和二十八年十二月) 有馬頼寧「大名の末裔」(『公卿・将軍・大名』(東西文明社、一九五八年八月)、七〜三九頁) 『有馬頼寧日記 巣鴨獄中時代』(尚友叢書8-1。尚友倶楽部/山川出版社、一九九七年四月) |
明治三十六年(一九〇三)十二月十日生。 大正十三年(一九二四)九月二十五日歿。 |
有馬頼寧の長女。 明治三十八年(一九〇五)四月六日生。 齋藤齊(ひとし)(齋藤實の養子)の妻。 平成十三年(二〇〇一)十月十九日歿。 ※『平成新修 旧華族家系大成 上巻』六二八頁 |
明治四十年(一九〇七)二月四日生。 昭和二十一年(一九四六)六月二十四日歿。 |
有馬頼寧の二女。 明治四十一年(一九〇八)六月三日生。 足利惇氏(あつうじ)(京都大學名譽教授、東海大學長、日本オリエント学会会長)の妻 平成四年(一九九二)三月六日歿。 ※『平成新修 旧華族家系大成 上巻』二九頁 |
有馬頼寧の四女。 大正四年(一九一五)六月四日生。 龜井茲建(これたけ)の妻。 亀井久興(ひさおき)の母。 ※『平成新修 旧華族家系大成 上巻』四五一頁 |
大正七年(一九一八)二月十四日生。 作家。『終身未決囚』で直木賞(昭和二十九年上半期)を受賞。 昭和五十五年(一九八〇)四月十五日歿。 |
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