稚高依姫尊


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[稚高依姫]

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稚高依姫尊」 わかたかよりひめみこと
 
【出自】
 
明治天皇の一女。
 
【生母】
 橋本夏子
 典侍。
 橋本實麗の女子。實は東坊城夏長の女子(橋本實麗の外孫)。
 安政五年(三年と公示)二月十三日生。
『言成卿記』今上後宮 藤原夏子
正二位橋本實麗女。明治二年十月廿七日、小櫻ノ稱ヲ賜。六年十一月十三日、皇女分娩、即薨ス。
『實麗卿記』明治六年十一月十四日
夏子、洋醫侍醫雖盡治療、無效驗、今曉斗終死去。鳴呼哀哉。絞紅涙袖了。抑夏子、實者侍從夏長朝臣【東坊城】女。予爲外孫。安政三(其實安政五年)年二月十三日誕生。然而慶應四年九月、爲予末女、被召典侍町雇。・・・・・
 
【經歴】
明治六年(一八七三)十一月十三日誕生。即日逝去。
『太政官日誌』明治六年十一月十四日布告
十三日午後第七時二十分、權典侍橋本夏子分娩、皇女御降誕ノ處、即刻御逝去被遊候ニ付、三日ノ間、歌舞音曲等令停止候。此旨布告候事。但日數ノ儀ハ、布告到達ノ日ヨリ算シ候事。
『實麗卿記』明治六年十一月二日
今日、小櫻典侍【橋本夏子】着帶。・・・・・ 正二位橋本實麗、權典侍橋本夏子妊娠ニ付、御用掛被仰付候事。明治六年十一月二日。
『實麗卿記』明治六年十一月十三日
辰刻斗、夏子卒然子癇劇症痙攣。・・・・・ 酉斜、皇女降誕。直薨去。夏子、漸次衰弱。予奉皇女向于長田御用邸。・・・・・
明治六年(一八七三)十一月十五日、「稚高依姫尊」と諡が定められる。
『太政官日誌』明治六年十一月十五日布告
故皇女「稚高依姫尊」ト御謚號被仰出候。此旨布告候事。
明治六年(一八七三)十一月十九日、葬送。
『太政官日誌』明治六年十一月十五日布告
故皇女、來ル十九日午前第十一時、第九大區二小區小石川豐島岡へ御葬送相成候條、此旨布告候事。
『實麗卿記』明治六年十二月二日
今日、稚高依姫尊二十日御祭典也。
 
【墓所】
 豐島岡皇族墓地
 
【文獻等】
C水正健『皇族考證 第伍巻』四百四十九〜四百五十頁「皇女」
『明治天皇紀』


 
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公開日時: 2011.11.29.

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